画家 齋藤芽生の日記


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2016年11月の日記

2016年11月の日記



11月6日

中央本線でのんびり旅をしている。最寄り駅の高尾からフラッと乗れるので、旅というよりも散歩の延長か。快晴、全てが金色で眠い。ミカンを持ってくればよかったな、と考える。
遥か下、深い渓谷の緑の水に船を浮かべている人が見える。誰もいない藤野駅のバス停看板の足元に、毛布をぐるぐる巻にしたお地蔵大くらいの何かがある。地蔵か…タヌキの置物か…ただ丸めた布なのか。木彫りの人形だったら、と空想したら少し怖い。荒削りで落書きのような目鼻、穴のような目に血を塗ったような口の少女の人形を自分で作って、毛布にくるんで、日本じゅうのなんでもない場所にポッと置き逃げする。名前は「愕然人形」という…というところで空想がうつらうつら夢になっていた。
愕然人形って一体なんだ。

:::

大月で乗り換え、河口湖駅に向かう。富士の裾野をかなりの角度でのぼり下りする電車。
数年前にやはりフラリと富士吉田に来た時と比べものにならないくらい、外国人観光客が多い。国籍、文化圏偏りなく世界中から来ている。九割が外国人の列車内から富士山を臨む。夫が「富士山駅、なんてツマンナイ名前に変えたな」と言った。前から「富士山駅」なんてあったか?分かりやすくていいじゃん?と思ったが、よく考えると確かにつまらん駅名である。富士のもつかなり広範囲で深い象徴性、実際の裾野の広さ、そのイメージをポシャンと萎ませるような、呆気ない「駅名のなかに押し込められた富士」。もとは何駅だったか夫に訊くと「富士吉田だよ。行ったじゃん前に」と言った。そうか、富士吉田という名前が消えたのか。何か取り戻せない重みを感じる。



河口湖から富士山五合目まで行くバスにも、あらゆる国の人が行列している。日本人ましてや地元人はバス内にほぼいない。そしてどの外人もそこそこ静かでマナーもあるが、何も楽しそうではない。
世界遺産になり世界の観光を請け負うようになった土地は、何かが明らかに違う。彼らが触れに来ているはずの富士の聖性や土地の霊性、そういうものが溶けて消えて行っているような感じがする。



私達だけがポツネンと途中下車し、「船津溶岩樹形」に向う。江戸時代の富士講の時代から続く「胎内巡り」の場所。溶岩が流れ込み、複雑な木の根が地底で焼き尽くされ空洞になった穴を、神の胎内を巡り生まれ変わる道筋にした霊場だ。
ここには打って変わって、外人は一人もいない。閑散とした受付で胎内巡りの説明を受ける。
賽銭箱と鈴の奥に胎内洞窟の入口がある。「身を少し屈めてお通り下さい」どころの狭さではなく、ドロドロに冷え固まった複雑な溶岩石に滑りながら、時には這いつくばって中を進むしかない。簡素な「母の胎内」という場所を参ってから、這って胎内洞窟を抜け、生まれ変わって外界に戻る。距離にしてたかだか100メートル。しかし思いもかけず体制がきつく、膝も雫で濡れ、息切れして生まれ出た。
そう、今日の長い散歩の目的はこれのみである。用事は終わったので、また列車を乗り継いで帰ることにする。



帰りの列車では二眼レフカメラのスコープを覗きこんでいた。西陽の具合が、丸いぼんやりした節穴のような暗い影を画面に落とす。枯野に時々光る家の壁、赤々と実る果実、遊園地の影。しかしそういうものもうまく撮れたかどうかまだわからない。


11月11日

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二眼レフで撮った写真が出来上がってきた。
フィルムは全て手動巻きなので、間違えて何度も重ね撮りをしてしまっている。しかし結果、不思議な時空間にあるような写真も出来上がる。夫が畑の前で撮った私の姿と、私が撮ったボケた菊が重なり、私の表情が何か変なせいもあって面白い。


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私が撮ったものはおそらくシャッタースピードの設定が悪く、大体ぶれているか、ボケている。
富士急行線の車窓を過ぎた、そこだけイミテーションな夢じみた白い家。
自分の指が挟まってシャッターを押し切れず、全て筋雲の中にあるように映った富士急ハイランドの遊具の影。


11月20日

2016年11月の日記_e0066861_17193618.jpg

個展の広報写真に写っている自分を見るたび、「ハァ.....アンパンマン」と溜息がでる。残暑で真赤にのぼせたまん丸の顔。特に両頬と鼻の三点セットの赤みが奴に似ている。
夜間の作品制作に追われると、顔のスキンケアをどうしようもなく怠る(風呂じたいも)。午前四時ヘトヘトでねむりにつくまえにかろうじて出来るのは歯磨きくらいで、昼間の大学の仕事のために乗っけた化粧を落とさず簡易ベッドに体を投げ出す半年が続いた。


年がら年中化粧が落ちていないのか、と言ったら、それは違う。風呂上がりの私はブロンズのアンパンマン像のようにツルぴかに磨かれた顔をしている。風呂で顔の角質を綺麗に垢擦りしてしまう二十年来の習慣があるから、肌がツルっぴかに光るのだ。浴槽でふやけた顔に何気なく手をやると、モロモロとした古い皮がどんどん落ちてくるのだ。それをこするのの気持いいこと。一皮むけて一件落着。
....と思いきや、この歳になって、その習慣化された「垢擦り」洗顔こそが、四十代の肌の老化に厳しい鞭を打ち始めているのに気付いた。要するにこの顔の肌は、最近よく女界で言われているこすりすぎ「ビニール肌」であり、表皮の角質層がほぼ無い薄皮一枚だけがピンと張った状態なのだ。だから乾燥季にはすぐ水分が蒸発してカピカピに渇くし、夏には油田のような皮脂にみまわれる。
その皮脂も段々歳に応じて少なくなってきた。あとほんの少しでこの薄皮は、たった一枚の紙の取り返しのつかない折れ目のように、皺が刻まれるかもしれない。


それに気付いたのはyon-kaのミルククレンジングを使い始めてからだ。これでやさしく化粧落としすると、浴槽で垢擦りしたくてももう顔のモロモロがでない。「はっ、角質というのものは、もっと長いことやんわりと肌の上にいたかったのではないか....」と、ツヤこそ無くなったもののふかふかと柔らかくなった自分のホッペを触り、初めてきづいたのだった。
それでも無意識に一週間に一度は顔をこすってムキ卵マンにしてしまうので、いまだに薄皮のツヤ赤にすぐなる。その写真が展覧会会場のあれだ。「真剣にスキンケアを考えよう」とアンパンマンを見てやっと反省したのだ。メイクのことばかり考えていてはいけないのだ。


【アットコスメ】という、たいていの女なら知っていると思われる一大化粧品レビューサイト。たまに見ることはあったが、こんなに真剣に読んだのは初めてだ。
男のいない世界。無数の女の、本音の文章世界。化粧品が良かったの悪かったのの感想に留まらず、良くも悪くも勝手な批評精神や詩的表現が花咲く。あのサイトは一種、すごいものがある。モニター使用者を抜かした「実際購入者」のレビューは特に厳しくシビアで、口コミは恐ろしいほど商品の品質の的を得ている。女の感性の独壇場である。
そのレビュー宇宙にはまって読み込み、自分の肌の現在の叫びや二十代の頃の化粧品遍歴をも全て総動員して、ほんとうにスキンケアを見直すことにした。


結局、答えはシンプルなようだ。薄皮一枚になってしまって泣く泣く裸で水を求めているこの肌に足りなくなっているのはまず「セラミド」(細胞間脂質)らしい。それが無いと肌が水を保持出来ないのだ。それを補うのが先決だ。
もともと、シワ取りとかリフトアップのために高機能なケミカルをこれでもかとぶち込んだ液体整形施術じみた何万円もするゲランやディオールのスキンケアラインには縁もない。むかしからサンプルを使うたび肌の中にシリコンを詰められたように息苦しいのだった。
今一番相性がいいのは松山油脂。こりゃいいな、と思うものがほぼ松山樹脂に絡んでいるので、興味を持った。ほとんどが低価格でシンプルなスキンケアだ。


[肌を潤す保湿浸透水]は、その松山油脂製。近くで買える、灯台下暗し。この1500円の飾り気の無い化粧水だけで、花に水をやったように肌が膨らむ。この肌感覚は二十年以上忘れていた感覚だった。
[セラミド20]は、金沢のローカル理系メーカーの研究したもの。
あとこれは透明感のイメージだけで買ってみたのだが、[上善如水]その名の通り日本酒の地酒の会社製造の酒粕を使った、透明な化粧水。どうかな....実際匂いはしないが、まあ、良い水を吸い込んでる気分がする。
きょうもフロで垢擦りをしないぞ...と自らに言い聞かせる。


:::

2016年11月の日記_e0066861_237444.jpg

真ん中は[ヨンカセラム](ラベンダー・ゼラニウム・ローズマリー・サイプレス・タイム)。もう15年くらい使い続けている。
フランスのスパブランド・YON-KAはレスキューコスメの竜宮城みたいなブランドだ。他の高級化粧品に興味がなくとも、または他のオーガニック製品を疑おうとも、高かろうとも(涙)、YON-KA製品だけはこれからも常備し続けるだろう。大体このブランドが得意とするローズマリーは食べることも大好きなハーブだ。助手の銀ちゃんの畑のローズマリーを失敬し、ジャガイモのスライスとよくいためて食べる。
植物オイルの安定感を初めて知ったのは、このヨンカセラムによってだ。ケアのだらしない自分がかろうじて吹き出物少なく生きてこれたのは、このオイルのおかげだ。もっと肌の美しい人がいえば説得力あるのだろうが....しかしトラブルカバーと癒しと使い心地だけで、値段なりの価値がある。南仏の貴公子、という感じ。


15年ぶりに化粧品探しをし、久々に良い手応えのものを見つけた。両脇、どちらもオイルものだ。
トリロジー[Q10ブースター エッセンス オイル](マカデミアナッツ、ホホバ、ヒマワリ、サルビア)。ニュージーランドの熟女という感じ。
ハーブファーマシー[スキン ブースター バーム](ハイブリッドヒマワリ、トウキンセンカ)。英国の「結構いい仕事する魔法使いのおばさん」感。
どちらにもブースターという役割があり、これらの天然油分を薄く延ばしたあとに化粧水や美容液を入れ込むと、びっくりするくらい肌に均一に入り込む。いま肌はもちもちしている。今月の体調不良で湿疹になりそうだった口周りの荒れも一気に引いた。これから使い続けるようになるかもしれない。特にバームは旅行によさそうだ。


11月27日

ここ三週間くらい、ボロぞうきんのように疲れている。


11月28日

疲れを取らないと、と思いきって昨日は一日寝ていた。多少は回復しただろうか。
静寂も案外疲れるのでいつも低くラジオをかけている。深夜ならNHKが一番疲れないのだが、昼間の娯楽番組は、独特のNHK的わざとらしさが気になってかけたくない。
だから、普段あまり聴かないAFNの米軍音楽放送を流していた。かつてはFENと言っていたな。
これが何ともシックリきた。かけている曲の傾向か。今はやっているやつなのだろうが、なぜか最先端のポップスと言う感じがしない。


インターネットラジオで遠く離れた国のラジオを聴くのが好きだ。猫も杓子も似通ってしまったダンス調のリズムにその国ならではの民族色濃いメロディーが乗る、ミスマッチな音楽。
異国の旅の宿でポツンと浮遊感に苛まれている夜、と言う気分になってくる。
AFNは米軍の放送なのに、以前よりどことなくアメリカを感じさせない気がした。かと言ってヨーロッパではないのだが。どこかにあるはずだがどこにも無い異国、という雰囲気を感じた。


異国の音楽で特にライブバージョン、それもイベント型のライブ版を流している時に一番旅愁めいたものを感じる。聴衆の騒ぎ声やお祭り感が遠い雑音に乗って届いてくると、なにか身を掻きむしるような孤独感が忍び寄る。しかしそういう孤独感は好きだ。
ソクーロフの映画【日陽はしずかに発酵し】が大好きなのだが、トルクメニスタンの灼熱の僻地でロシア青年の日常を取り巻く、イスラム異文化のさまざまな雑音や切れ切れの音楽が、映画の雰囲気を不穏に覆っている、あんな感じの音に触れていることに憧れる。
by meo-flowerless | 2016-11-06 11:39 | 日記