画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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2016年8月の日記

2016年8月の日記



8月1日

夫が夜、奥多摩から帰る電車の車窓から、ある町の夏祭りを見たと言う。そこに私の好きそうな「電飾に飾られた山車」が出ていたのだそうだ。
山車というより、むかしの「花電車」のように総身ぼこぼこと飾りの盛り上がった、とても華やかなものだったらしい。猛烈に興味を持ってネットで色々検索したけれども、これという情報は何も出てこなかった。
来年の夏まで待つしかないのか。場所は、確か羽村のあたりだったと言っていた。幻想が膨らむ。
:::

夏の芸術学校で、夜明けからキャンバスを抱え池に行き、妙高山を描いていた人がいた。
誰もいない静かな朝のはりつめた空気。ああ、自分に足りないのはそれかもしれない、と思った。
朝の静けさというのは「沈殿」の静けさだ。日頃の煩悩が完全に払拭されているのではなく、ただ底に沈んでいて、上は澄んでいるだけだ。しかし、その状態がいいのだ。払拭するということは短時間ですむ刹那的なことだけれども、沈殿させるには時間がかかる。自分はその沈殿にかかる時間を見つめるべきだ、と今思うし、その時間自体が欲しい。


8月3日

最寄り駅からのバスの車体に、降り注ぐ黄金色の光のシャワーの中の、巨大な「北島三郎」が印刷されていた。筆字体で「芸道五十五周年」と書いてある。特にファンではないが、演歌に包まれながら道路を走るような気持がし、良かった。こんな日にかぎってiphoneを忘れ、写真には撮れなかった。また乗りたい。


8月4日

佐井好子は私がいかにも好んで聴きそうな歌手だが、実際手に取ってアルバムを聴くことはあまりない。たぶんあの物語喚起性が、私のなかのそういう性質とぶつかる、あるいは一致し過ぎるから、距離をおくんだと思う。声も、特に好きだというわけではない。
けれど制作中のプレイリストに数曲彼女の歌を入れていて、圧倒的に情景を立ち上がらせるその歌に、知らず知らず筆が進んでいたのは確かだ。耳に彼女の言葉が残っていて、それが心にあり続ける「不気味な女」の像を考えるきっかけになったとは思う。
くり返しプレイリストで流れていた【漂流船】の、無国籍な雨月物語のような感覚、「お前は夢に遊ぶ女」のひと言は、本質が見えにくかった自分自身の表現の源泉に、一歩近づかせてくれたように思う。


8月6日

週一回夫が帰宅するはずの日だが「山にそのまま泊まってくる」と言う。どうしてか聞いたら、きょうは東京の複数箇所で花火大会があり、それが全て御岳山のうえから見下ろせるのだという。全部見えたらまるで不思議な夢のようだろう。晴れてるといい。

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幼い頃連れられていった仙台七夕祭りの、「短冊の滝」のような光景は、自分の美的な原風景として残り続ける。いまもやっているけれど、今年も行けない。何十年ぶりに行ったとして、あの七夕飾りの軽さと儚さと無音の感覚が、様変わりしていたら哀しいだろうと思う。
願い事の質は時代によって変わっても、巷の七夕飾りの質感というのは、いまだにあまり変わりないことが救いだ。飾りを支えている笹の葉がそもそもなよやかなのが、あの軽い涼しい折紙や薄紙の質感を選ぶのだろう。変わり雛やハロウィーンみたいに趣向を凝らしナンデモアリになってしまったら、自分の七夕への夢は消えてしまう。

時おり書き言葉の選択に迷う時に、七夕飾りの質量のことを思い出す。
笹に、重い装飾物や凝りすぎた時事ネタをぶら下げても、けたたましくぶつかり合う音の出るものを纏わせても、似合わない。ああいう紙飾りの懐かしさ、鮮やかさ、簡単さ、乱反射、可塑性、儚さ、もどかしさ、仮のものであること、事後燃やされてしまう運命、そんなものを思い出しながら言葉を選ぶと、うまく行くことが多い。話す言葉では、なかなかそれが出来ないが。


8月7日
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真夜中。一体自分は何を作っているんだったか....?


8月9日
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昼間に病院で「テニスひじ」と診断され、固定バンドのような物を買わされた。確かに固定しているとひじの調子は良い。
PCの作業がひじには一番良くないのは分かっているが、今やってみている「紙の密愛村」の展開図を、思い切って、すべてPCのイラストレーターで制作してみた。夜中に何となくおぼろなイメージは見え始めた。これがどうなるか。使うのか使わないのか。


8月13日

目まぐるしいのに無音の世界のように思える高速道路、運河、工事現場。その上空を、低空飛行するように行く東京モノレール。
東京湾岸の光景が好きだ。どの時代にも回収されないでへんなエアポケットに回収されてしまった「各時代の未来像」たちが寄り集まった吹きだまりのように思える。
夫と「建築倉庫」の見学に来た。ひと気のない天王洲アイルの駅に降り立ったときの、まるで静まり返った炎天のゴーストタウンに躊躇しながら足を踏み出すかんじに、何かを思い出すなとおもった。
幼い頃読んでいた『銀河鉄道999』の、列車から新しい星にメーテルと哲郎が足を踏み出す時の、不気味な静寂、溶けていくような不安、一抹の生命体の気配への妙な懐かしさ。あの感覚だ、と思った。


「建築倉庫」は建築模型ばかりを集めた収蔵庫的展示スペースだ。暗いライトの下に幾列もの棚があり、様々な建築家の数々のマケットが無造作に置かれている。そこを、花から花へ巡る蜂のように巡っていく観客。
その隣の建物には、日本画顔料が一面の虹のように壁棚にディスプレイされた、描画材両展示スペース。自分と夫以外の客は誰もいず、そこを出たあとも誰かが来そうには無かった。
『銀河鉄道999』なら、「冷たく細密なミニチュアの星」と、「色彩が瓶に閉じ込められた星」とを訪ねたという感じか。


松本零士の漫画は幼時以来嵌まることも無く読んではいなかったが、いまになって無性に読みたくなった。じぶんの確認したい心情の手ざわり....次第にひとの世界から離れ宇宙の静寂と物悲しさのなかに突入していくような感覚が、詰まっているように思える。
自分の描いたものや書いたものが他人の中で、そのときその瞬間の刹那ではなく、あとになって「ああ、あのとき感じたあの感覚が今この感覚に似ている」と漠然と思わせるような、そんな表現をしていきたいと、ふと思った。


8月15日
お昼のラジオでたまに聞く「毒蝮三太夫」の声。相変わらず街の人々に、毒舌で戯れている。
若々しいキレのある声なんだが、戦争体験に話題が触れてはじめて、マムシさん齢80歳だということを知った。終戦記念日の今日はいつもより強い口調ではっきり、戦争に対する絶対的な抵抗を口にしていた。それも含め、不思議な怒涛のような感慨があった。


彼の毒舌芸は、いまどきの人にとっては、意味のわからない戯れにしか聞こえないかもしれない。が、毒舌と残酷、批評と攻撃の違いすらわからんこの時代、この話芸の深みに、少しでも触れたらいい。
最近、日常でも、笑って返せないようなズレた毒舌に出会うことが増えた。テレビのコメンテーターの影響なのか、お笑いのツッコミぶっているのか、SNSの論客気取りなのか知らないが、尊厳と悲哀を知らぬ人間はいたずらに毒なんか吐いちゃいけないよ、と抵抗感を感じる。


何かの文章で誰かが「缶の水ようかんではない、本練りの羊羹」という表現をしていたが、本練りの羊羹のような舌触りの毒舌ならば、聴いてはじめて耳に心地よい。毒蝮三太夫のラジオの一コマを聴くたび、その羊羹の一節を思い出す。

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小旅行先の半島の食事屋を検索しているが、理想の「肩の力抜ける安くて庶民的な食堂(飲み屋)」なんかはヒットしない。土地に行っても出会えないことが多い。
洒落た気取りなし、リノベーションとかなし、チェーン店ではなし、しかしメニューは多彩。
忘れられないのは、夢の中のように古くて懐かしい、京都宮津駅前の「富田屋」、香川丸亀駅前の「しらさぎ」。


8月16日

駅の改札の人混み、肩隣からこんな男の会話が聞こえた。
「座りたい座りたい、ってあいつがあんなに望んだせいで、僕の時間が遠くに行って、なくなっちゃった」
なんの話をしてるんだ?とふとその人の顔を見たら、ポツポツと独り言を言っているのだった。
汗をかいた、背の高いサラリーマンだった。


8月17日

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愛知県は知多半島の常滑にいる。
常滑焼を体験しにきたのでも、植木鉢や招き猫を買いに来たわけでもない。 古い独特の坂や煙突や窯の町並、ここをたまたま旅の中継地として選んだのだ。知多半島から渥美半島に船で渡ってみようと夫の旅の提案。明日は、船旅のあと夫の実家の豊川へ向かう。

昨日昼は名古屋であいちトリエンナーレの作品群を見て回った。正直こちらについては、感想は特になし、という感想。だだっ広い名古屋で熱中症になるのを踏みとどまり、旅の中継地の常滑のホテルに向かう。電車途中の海際の静かな駅が良さそうだったが、いざ常滑駅に着くと、ざわざわとたむろするライブ帰りのような人の群れが。ゾンビのように携帯持って佇んでいる。「もしや」は当たった。ここは、県下でも有名なポケモンGOスポットらしい。

昼も夜もなく、人の群れが駅前の全ての交通を塞ぎ続けるのがホテルの窓から見下ろせた。
静かな佇まいの焼き物の町であろうがなんであろうが関係はない。私ひとりがなにかの喧騒から逃げたくて日本中を旅したところで、関係なくあの人混みは出没する。
ポケモンをしていないとしても、あの静かな町の路地に観光客として土足で踏み込んでいるような自分も、同じような傍若無人な人の群れなんだよな、と思う。
例え異物だとしても慎ましくひっそりと存在を許されるような、訪問者の在り方は無いものだろうか。



8月22日

土性沙羅。というあの名前と顔つきが忘れられない人はきっと多いだろうな。私は普段から短い夢をたくさん見るのだが、なぜか何回も、違う格好の土性沙羅選手が夢にでてきた。違う格好と言ってもほぼ布を巻いた古代の女神みたいな格好だが、髪にイルミネーションつけていたり、花の冠をしたりしていた。

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なにか予感がして、はっと台所の窓を開けたらやはり虹が現れ始めていた。
二重の虹で大きかった。裏の森をちょうど跨ぐようにして弧を描いていた。空は暗くても虹の根元は不気味に明るい。当たり前だが、虹はやはり光なのだなと思う。

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今回の旅は何かが濃かった。何かが忘れられない。でも、まだ何、とは説明がつかない。
私は行き当たりばったりの旅に揺らいでいたく、夫は綿密な時間感覚で乗物を乗り継ぎ少しでも多くの場所を移動する。そこで互いにくすぶることもあったのだが、この旅では、彼の持つスピードと流転感覚のようなものが自分にフィットした。

一日に、何度もバスと列車と船を乗り継ぐ。疲れるけれどもそれは、旅する身体にとってこの上ない贅沢なのかもしれない。
彼独りならば徒歩や自転車で走る過酷な選択肢もあり、私独りならば一カ所に滞在して何もしないという怠惰な選択肢もある。しかし、一緒だからこその「バス・列車・船」なのだ。
一緒と言っても、列車で豪華駅弁を食べたり、船から鴎に餌をやってはしゃいだり、そういうイベントフルなのは、いかん。会話も少なくバスでも思い思いの離れた席に座る、そんな頃に初めて、一緒に同行することの醍醐味を感じる。互いの沈黙の背が、風景の一部に見えてくる。それが何を思い何を見るのかをどこかで察しながら、互いの風景を透視する。その距離が自分は心地よい。

「バス・列車・船」の旅には、自分が「車のドライブ」に感じる擬似的心中感覚とは真逆で、生の遍歴をとにかく重ねていく感覚を感じる。
自分の作品で、車の暗いロードムービー感を出せる可能性があるのは【密愛村】の初期の感じか、【夜の花輪】のシリーズだろう。それは今後も絵でやれる気がする。でも、あの「バス・列車・船」の目くるめく乗り継ぎ感を表現するには、なにか別の手法が必要だ。絵ではない。

8月23日

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助手と学生と四人の車旅だ。久慈川を望む場所で昼飯。常陸の国の道の駅。
天然うなぎが売られている。

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九月中旬から学生達と参加する、茨城県KENPOKU芸術祭の下準備。
タイの大学生と芸大生と、十人以上で、借り切った空き民家で共同生活になる。
芸術祭参加作家の柚木さんがすでに入居していて、皆で手作りのパスタで乾杯。夜遅くまでよく喋った。10日間の合宿生活、楽しくもなりそうだし、過酷でもありそうだし…
きょうは大子町は激しい大雨と雷に見舞われっぱなしだった。
二軒隣に、ごく普通の民家としか見えない、扉をピッタリとざしたカラオケスナックがある。静かな住宅風なのに、中からは昼間でも演歌が流れているようだ。行ってみたい。


8月24日

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学部三年生の彼女は、油画科だが、物凄いバイオリンの腕前。オーケストラにも所属している。
大子町役場の方々から、「展覧会期中、袋田の滝で演奏してはどうか」という、思ってもみない有難いすすめを頂き、今日は現場で音を出してみることに。
役場の担当女性の方が実は鍛金作家でもあり、袋田の滝に作品が設置してある。そのそばでバイオリンを奏でる。
私の大好きなヴィターリのシャコンヌをひいてくれた。胸が熱くなる。滝の烈しい怒濤のイメージに合う。
音の響き渡るトンネル通路の奥から、次々と観光客が、様子を窺いに集まってくる。
本番は何の曲を弾いてくれるだろう。
「先生も一緒にカノンをひいてください」と言われたのでムリムリッと地団駄踏んで焦ってしまった。こっちはド下手だから外なんかでは無理。


商店街内の各店舗に各自交渉し作品を店内や家の中に展示させて頂くということに、学生たちは大子町で挑戦する。
役場を通して一度は断られ、難航しそうに思われていたある閉店舗のご主人に、きょうバイオリンを背負った彼女が直接交渉に行ってみた。すると「その楽器は何」と会話が始まり、思いがけず歓待され、バイオリンをぜひ弾いてみてくれと言われ、ご主人の独学のピアノまで聞かせて頂き、彼女の絵画作品の展示場所は無事に決まったようだ。
人と人との関わりとはそういうものなのだな、と学ぶ所が多い。
助手の運転で学生たちと四人、車中で歌いながら、上機嫌で夕陽の道を東京まで帰った。いい出張だった。

8月26日

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相変わらずそう器用にはいかないが、少しずつ要領を得てきている。今日の進歩は灯りがつく仕様にしたこと。夢中で試行錯誤していたら朝の蝉が鳴き始めた。

8月28日
土曜、大学裏のカヤバコーヒー向いで盆踊りをやっていた。
地元では当然の風景なんだろうが、夏の上野を自分は案外知らずにいたので、大学付近で盆踊りとは、なんか新鮮だった。自転車走らせると、谷中の街じゅうで、神輿が準備されているのに遭った。
「大東京音頭」は東京音頭に比べてパーっとしていて好きではなかったが、よその街でエコーしまくる音響としては、いちばん淡い情緒を感じる曲だ。昔から、夜店や踊りに気が済んで夜道を帰るときにかぎって何故かいつも、遠い反響音の大東京音頭がかかっていた気がする。

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体じゅうの関節がズキズキ疼いて痛い。風邪なのか。ぐったり。
ずっと微熱。


8月30日

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ようやく、一カ所も間違わずに展開図を製図出来るようになった。しかし、二日で三軒のドライブイン模型しか出来なかった。遅い!自分の頭のとろさに落ち込む。これから色塗りや配線でまた頭を使うのだ。
何を作っているかというと、有隣荘の個展の床の間に飾ろうかと思っている「紙の密愛村」。ささやかーな作品に、滅茶苦茶時間がかかっている。ポチっと灯がつく、灯籠のようにしたい。

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有隣荘・洋間の作品は、母との共同作業。というか、ほとんど母の裁縫にかかっている。絵画作品【密愛村】の闇をイメージした、黒いドレスの作品。私の制作部分はどこかというと、そのドレスに私の言葉の文字刺繍が入るのだ。しかし、こんな切羽詰まった時に限って、言葉がまとまらない。
文章のヒントに、と思い、久々に自分の本【四畳半みくじ】を読んでみたが、何か、あらためて赤面してしまった。ものすごく「恋愛一色」で、恥かしい。
刺繍は、近所のスポーツ用品店のお兄さんたちがやってくれる。そういう言葉を、スポーツ用品店で刺繍してもらうのに勇気が要る。普通は、ジャージに「齋藤」とか刺繍してくれるような所なので。


8月31日
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今日できたやつは、ちょっと可愛い。着色は手描き。配線もばっちり。
by meo-flowerless | 2016-08-01 06:26 | 日記