画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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2016年6月の日記

2016年6月の日記



6月3日

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来月の個展のための絵が、やっと二枚、撮影・額装に旅立っていった。死闘、という感じの二ヶ月だった。
今回の絵は今までの中でも使っている色数が相当多い。それは画廊主の高砂さんも気付いてくれたみたい。あと一ト月でまた死闘の一枚を描く。(ほんとは二枚描きたい


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日暮里の高級服地屋のウインドウに「絶妙に微妙」なカクテルドレスが展示してある(左)。
こういうのを見ると心がほくほくして一日元気が出る。
着ないけど。


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学校うらのお寺で祭り囃子が派手に聞こえる、能舞台で雅楽の人が囃子の練習中だった。「これを聞くと反射的にメロンを食べたく」なって三年目。コンビニのカットメロンを食べた。いよいよ夏だ。


6月4日

絵を書いている途中、突然「キジも鳴かずば撃たれまいに」という台詞が、頭の中に巡り始めた。
小さい頃持っていた「日本むかしばなし」の、アニメを絵本にしたヤツの中に民話【キジも鳴かずば】はあった。その言葉が唐突に浮かんだ理由がわからない。
自分がたったひと言口を滑らしたばかりに父親を罪人にしてしまい、その父親が災害鎮静のための「人柱」として殺されてしまった境涯の、ある娘が、それ以来一切口をきかず生きていた。が、あるとき猟師に撃ち落とされたキジを拾い上げて、ひと言「キジも鳴かずば撃たれまいに(キジが啼いて騒ぎさえしなければ猟師に見つかることもなく、撃ち落とされることもなかっただろうに)」とつぶやいて、どこへともなく姿を消す。


大学院生に授業で、ひと月毎に題を出して文章を書く練習をさせている。
今月のお題は【この一冊】。記憶に残る書物について自由に書け、というものだった。そのなかのひとり、Aさんの文章を読んだとき、驚いて鳥肌が立つような思いがした。彼女の【この一冊】が、【キジも鳴かずば】だったのだ。私の体験と同じで、日本むかしばなしの本を彼女は持っていた。二十以上年齢の隔たりがあるのに同じ著書から同じようなことを幼時に感じたのも不思議だが、その台詞を唐突に思い出している時期に、偶然それについて書いた文章を読むことが、更に不思議な気がした。その映像の、そっけない無表情な線で書かれた暗い顔の女の子の印象がこの話のもう一つの強烈さだ、と彼女が書いていたのは、自分も漠然と感じていた感覚だった。「そう、そう」と納得した。


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夜中唐突に「貝のネックレスが欲しい」と考え始めてしまい、検索して眠れなくなった。
夜が明けて仕事が終わって昼過ぎの帰路、上野公園を通ったらバザーのテントがポツポツ出ていた。大イベントのときと違い、何だか閑散として寂れた海辺のパラソルのようで、なんだかいいな、と思って物色したら、一軒目でいきなり、貝のネックレスに出会った。
脆い簡素な巻貝や、ひとでが、シンプルな細い鎖についている。あ、これを買おうと一目で思った。樹脂の底に暗い海中のいそぎんちゃくの細密画が揺らめいているようなブローチも置いてあった。それも妙に懐かしかった。
「先生こんにちは」と目の前の売り子が急に声をかけたのではっと顔を上げると、不思議な色合いの夏の着物を来たきれいな女の子が裁って私を見つめていた。一瞬分からなかったが油画の卒業生のJさんだった。商品の印象が懐かしいわけはこれか。明るい着物の一瞬の照り返しが眩しい感じがした。
「私よくここでこういうの売っているんです」と彼女は言った。


数年前小豆島で、砂浜で廃物を拾う生活に夢中になった。貝や流木や動物の骨だけでなく、お刺身パックについている菊の花のいろんなバージョン、しょうゆ差し、異国のペットボトル、乾涸びて解けた色とりどりのロープの残骸、ミイラ化した野菜、焼けただれたプラスチックが鉱物のようになった塊....よく今でもそれを思い出す。
自分が衣服や装飾品をデザインするとしたら、自分には似合わないだろうが、砂浜の廃物のようなはかない色彩や脆い質感の服を作りたい、と考えた。服でなくとも、何かネックレスなどを身に付けるくらいだったら、ありかな。それが一夜明けて早速満たされた。



6月6日

暗い赤のなかに切っても切っても小さい赤のカーネーションが現れる金太郎飴の夢。

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茨城県大子町まで、往復通算十時間の出張。プロジェクトの下見。向こうではたった二、三時間しか滞在時間がなく、町の自転車で焦りつつ散策する。ここの役場の担当者たちは若くてやる気があって非常に頼りになる。
素晴らしい旧家を改造した大子カフェで、落書帳にこどものなかなかオツな絵を見つけた。
帰路の水郡線では、青々とした田の景色が延々と続くなか、学生も私も泥のように眠った。時折ふと起きて「何駅だろう」と思うたびに、どの駅も「常陸◯◯」駅であり、永遠に常陸の国か....と思いながら眠りに落ちるのを、何遍も繰り返した。


6月8日

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髪の「アホ毛」がすごい。「アホ毛」と俗にいう言葉はなんというか、髪以上の、人間の奥底まで言い当てられたような言葉だと思うようになった、最近のアホ疲れ感。

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あの娘は某博物館で「迦陵頻迦」を見たのかもしれない、と言った。
半身が人間で半身が鳥の。しかし、薄い黄色のひらひらしたものの沢山ついたクラゲのようなものだったようだ。その話を聞いて、そのイメージであの娘を絵に描きたくなった。
彼女の見ている視界のような世界は私には見えないので、全くイメージが違うものになるだろうが。


6月10日

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小伝馬町、ぐっと来るドアを見かけた。

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この時期の技材教員室は、親戚の家の夏の夕暮めいている。
透明な和菓子を買ってきた。中国からの留学生エンエンちゃんが鶏の足、いわゆるモミジを茹でてくれた。

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現役教員から、上は八十代までのOBの方々が集まる委員会で、突然「お久しぶりです」と声をかけられた。
一瞬分からなかったが、なんと私の前助手のK君の、お父様だった。
K君や私とは科は違うがお父様は芸大の先輩、K君の兄も芸大卒という、芸術一家だった。
任期中に学生をつれて、K君の実家のレコード店に遊びにいったことがある。その時お会いした。
何とも味のある「町のレコード店」。私の研究室にもしっくりくる雰囲気に、みな時を忘れてマッタリした。私は、美川憲一のカラオケテープを買ったっけ。


インテリで個性的なお父様の佇まいは忘れ難い。その強烈さや家庭の教育の雰囲気は、自分の父や育てられかたに一部重なった。
K君は「時空」を自在に持っているタイプの助手さん...というか作り手で、フィールドワークの多い私のカリキュラムを自然に組み立ててくれた。もの静かに音楽好きなのも、文学的なのも、研究室やスタッフの雰囲気に合っていた。
私の歴代助手は、多くは異動の関係で自研究室出身ではないことが多いのだが、みな見事というほど、私の想像を超える、素敵な時空の贈り物をくれる人々だ。あと全員料理が滅茶滅茶うまい。
自然に自分自身の内的な人生経験を丁寧に重ねている人が私は好きだ。今の助手二人も、K君初めとした取手の助手たちも、そういうところで本当に自分の心情が吐露出来た。正直、助手たちがいなければ私はこの職場にいられないと、今でも毎日思う。
K君に似たお父様の顔を見て、前任地の取手のことを色々思い出し、胸が熱くなった。


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五反田に「土料理」の店があるんだって、と学生に聞いた。郷土料理ではない。土を食べさせるのだ。
土のフルコースなどもあるらしい。
小学校の頃、雨上がりのグラウンドに皆がつけた靴のあとのでこぼこをうまくスライス状に剥がして「板チョコ」と称して集めまくったことを思う。あのときから、私は実は土が食べてみたい。


6月11日

大学で担任をしている四年生が教育実習をしているのを見学しに行く仕事だった。
その学生の教育実習先は、私の母校の、女子中高一貫教育校だった。
中学二年生相手に、自画像版画の前の導入デッサンの指導を行っていた。
教壇に立つ教え子に、何だかいてもたってもいられないような切なさを感じるのと同時に、三十年前この教室で自分がどうであったかを後ろから見るようで冷や汗が出た。
版画用具の袋をあける前に「丁寧にあけて、袋を引きちぎらないように。その袋に用具を毎回入れて使いますので」と注意をする。そうそう、大事だ、と思った。なぜならば私は貰って一秒で胸の前でゴリラのように袋を引きちぎり、入れる袋がないため物をなくす生徒だったからだ。


中学二年生はこれほどまでに幼かっただろうか。小学生と変わりのない奇声、落ち着きのなさ。
けれど彼女たちが部活の先輩たちの話などをしているのを聞いていると、私の当時と同じように、嫌という程オトナ社会の人間関係のややこしい部分をもう背負わされているのが分かる。


騒ぐタイプではなく見かけは大人びていたが、私は本当に当時からうわの空だったな、と身にしみて感じた。中学高校の六年間ずっと、授業の思い出と言えば、落書き、友達へ手紙、パンのつまみ食い、交換日記、クラスメイトの後姿のデッサンだった。字を書くのは好きなので、無駄に装飾的にノートを取り、変なフォントを編み出したりしていた。
教科書をちゃんと持っていたことがろくにない。宿題もほとんどやっていったことがない。書道は提出したことがない。水泳は中三から高三までずっとさぼっていた。
馬鹿だった。
先生は苦々しい思いを沢山していただろう。だが怒られたことはあまりない。パンフレットや文化祭ポスターの絵画要員のような感じで、何か許されていた気がする。
まあ、本来は学生をしかりとばせる身分じゃない。


6月12日

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休日もアトリエに詰める制作生活。また少し体調が悪くなり始めているか。
息抜きに昼間に出かけた谷中銀座で、台湾のワッペンを手に入れる。
日常的に自分の頭の中に浮かぶものと似ているので気に入った。
更に、大大好きな韓国のり巻きも手に入れた。優しい味。



6月13日

物音に敏感になっている。




6月17日

昼間病院で二時間半も待たされ気分が落ち込んだ。景気付けに花の香りの紅茶でも買いにいこう、と夕方銀座まで出る。「マリアージュ・フレール本店」。高級本格茶葉より、毒々しさと物語性のあるフレーバーティーが欲しい。花柄の服ばかり好きなのと同じ。ここの花系のフレーバーティーは、例えるなら、高級にしたニベアの乳液やビオレの残香を飲んでいるような感じだ。


白いスーツで黒髪を綺麗に撫で付けた「植民地の給仕人」のような男性たちが、何百も並ぶお茶の缶の中から希望のものを一つ一つ取り出して、試香させてくれる。
「マリアージュ・フレール」はフランス発の有名な紅茶店だが、いつも行くたびに「ああ、サイゴン...」と思う。白いスーツのお兄さんたちが映画【愛人(ラマン)】にでて来そうだからだろう。好きな映画というわけじゃなかったが、モデルになった風土の印象は強い。
サイゴンという土地の響きが呼んでくるエキゾチックな憧れと、実際に行ったホーチミンへのキッチュな郷愁が、いつも自分の中で一致しない。同じ場所なのだが。


銀座マリアージュ・フレール二階の喫茶スペースに初めて上がって、テーブルでケーキと紅茶を注文してみる。お高いイチジクのパイのようなものはさすがに美味しい。
しかし店内にいる客のどの女もこの女も「お金持ちな主婦グループ」のなかで、おひとりさま&風船パンツの浮いた自分は次第に萎縮していき、さっさと口に運ぶケーキはあっという間に無くなっていき、ものの十分で店を出てしまった。
別に自分が汚い格好をしているわけでもなく、都心に定職も一応ある人間で、何の引け目を感じることもない。自分のほうから避けたい何かがあるのだ。一番につらくなるのは、金のにおいでもお洒落のにおいでもない。ある種の、彼女たちの「暇」のにおいだ。



散らかったアトリエに帰り、絵の前でボーゼンとしつつ、アイスティーにした緑茶「Festin d' or」を飲む。ベトナム歌謡を聴いていると、その味に何ともばっちり合う。
高級なのか毒々しいのかわからない、カラフルかつ繊細な感傷。サイゴン妄想のなかで想像の及ばなかった雑音と、ホーチミン実体験の中で思い出せなかった町の香りを、合わせ技でありありと感じとる。サイゴンとホーチミンのイメージが合致してきた。



6月20日

他人にはその感覚はありのままには理解されないだろう。でもよく感じる。自分の生とは自分ひとえのものではなく、幾重にも「過去や未来の、誰かの何か」が重なっているものなのだ、と。
「自分自身」と「自分とは呼べない存在」のちょうどはざまにぼやっと空白で投げ出される瞬間がある。知人とか他人とか言う意味ではない。まるで他の生が何時かどこかで感じたような間接的感覚が、ふと乗り移って自分の感覚として感じられるような時がある。そんな時その光景や感覚を書いたり描いたりしたくなるのだと思う。乗り移ると言っても霊魂の憑依的なものとはまた違う。うまい言葉が見つからない。複数の地点の記憶が「重なる」という感覚が近い。その感覚を催す時間帯や季節、場所にはいくつかのパターンがあるにはある。
しかし書いたり描いたりすると、どうしても今の自分自身の自我や特徴が現れてしまい、白昼夢のようなあれは消える。

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「スーラー麺」「パーコー飯」「サンマー麺」など、カタカナ+漢字で無造作に縦書きの紙が張り巡らされた中華料理屋が好きだ。料理の内容がわからなくておばさんに訊いても、無愛想で簡潔なお国なまりの「肉入ってる」くらいの答えしかかえってこないような店。たいてい量が多すぎて食べている途中に麺がフカフカになるタイプの料理、綺麗でもない店。これが「酸辣麺」「排骨飯」「生碼麺」と漢字書きしてあると一気に本場中華料理感が増してしまう。そこには「イタリアンのボロネーゼ」と「レストランのミートソース」の間にある見えない溝と同じものを感じる。カタカナで強調する感じに「長谷川町子」感があるのも好きだ(うちには【サザエさん】全68巻あった)。昭和の市井に曖昧に同居していたいた曖昧な中国、曖昧な西洋、そういうものはどんどん区別され各国料理に隔てられ、人々は良くも悪くも各国人として隔てられるんだろう。



6月23日

憂鬱な雨のこんな真夜中に、観ていたいテレビ画面がある。
NHK放送終了後の、台風等の臨時ニュースを待つ間に流れる、気休め映像のようなものだ。


「80−90年代東京・風俗史」みたいな感じの気休め映像を、夜中に長々と黙って観ていたことがある。青い光に浮かび上がる、バンダナとサーキュラースカートで踊る竹の子族の娘のスローモーション、深紅の唇に、妙に官能美を感じて、そこだけが忘れられない。
別の時には、【アカシアの雨がやむとき】を静かに流しつつの「東大紛争の安田講堂の放水シーン」に戦慄的な美しさを感じた。


「名曲アルバム」的な映像の、ヨーロッパの石の家並みの窓に咲いている植木鉢の花。あれがいま無性に観たい。特にヨーロッパが好きとか鉢花が好きだとかじゃないのだが、いま観たら、泣くほど癒されそうな気がする。なんなんだ。
でも、ああいう気休め映像をやる日は、たいてい何かの災害時だったりするので、実際はこういうことすら軽く口にするのも憚られる。


6月24日
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この絵も残すところあと、モデルの娘だけに。
「ぶんぶん回すと音が出る蝉の玩具」が、この絵の最初のささいな発想源だった。
西島三重子の【もう森へなんか行かない】を聴いて、その歌詞に、絵のイメージが具体的に膨らんだ。
フランソワーズ・アルディの【もう森へなんか行かない】は浪人中によく聴いていた。メランコリックないい歌だなというくらいの印象だったが、四十過ぎて、しみじみした西島三重子の声の日本語で聴いて、いまさら心を奪われた。西島三重子は、【池上線】の人。私ですら、リアルタイムじゃ知らない。凄くいい歌い手だと思う。


この歌詞が、もう青春を失った自分にはぐっと来る。
ひとりだけ思い出す親友がいる。稲城の森や山を、天気雨に打たれながら歩いた。
少女のくせにワニ皮の青い靴を履いていた。
彼女は若くして遠い南の県に嫁いでいった。それ以来音信はない。
別の友人から、子供が大きくなって手がかからなくなり彼女はバイオリンを習い始めたようだ、と噂を聞いた。


今日 季節が 変わるように
青春が 行ってしまう

夏の草を 刈り取るように  時の流れが連れて行くの
思い出して あの日のこと
 私たちは 森へ行った
 
花を摘んで 口笛を吹き
 夢を見ては 語りあった
もう森へは 行きはしない
 
夢見ていた 少女の日は
 森の中に 忘れ去られた

秘密の歌 夢の呪文

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もう一つ、これはもう学生時代から「この曲のイメージで描きたい」と思い続けているのが、圧倒的に【八月の濡れた砂】なんだが、まだ絵柄が浮かんだことがない。
場所のイメージはある。房総州崎。(砂浜は無かったかもしれないけど)
「あたしの夏は明日も続く」
という歌詞は、ずっと胸にあり、これからも多分あり続ける。
そのイメージで今回の個展の絵には、テキストを添える。
by meo-flowerless | 2016-06-03 15:49 | 日記