画家 齋藤芽生の日記


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入学式のヴァイオリン

音楽学部の澤和樹先生が新しく学長になった。ヴァイオリニストである。
美術と音楽とがあるウチの大学では、実に37年ぶりの音楽学部からの学長選出だ。
長らく続いた宮田先生の書道のパフォーマンスで藝大のセレモニーも注目されるようになってきていたが、今日、新学長のもとで気持も新たにどのような入学式になるのだろう、と楽しみだった。



卒業式に比べ入学式は厳粛で、講堂中の新入生の緊張が空気を引き締めている。新学長も緊張の面持ちに見えた。
「新入生、起立。礼」のあと、学長みずから「着席ください」と言う。ここで学長のお言葉である。さあ何を話されるのか。私が一瞬、目を自分の爪かなんかに逸らしたその瞬間だった。
静かにヴァイオリンの音が流れ始めた。



澤先生が壇の前まで出てきて、言葉を何も発しないまま黙って、たった一人舞台の真中でヴァイオリンを弾き始めたのだ。
しかも、バッハの無伴奏をだ。
何回も器楽演奏を聴いている会場だが、これほどの静けさに包まれたのを見たことがない気がした。すぐ目の前で、幻のような月がゆっくり空に昇っていくのを、皆がじっと見守っているような目をしている。
柔らかいが吸い付くように、息の長い弓使いが、ずーっと後を引く。はじめの「なるほど....さすが音楽学部」というパフォーマンスへの感動は、すぐに「音楽」そのものへの集中に変わっていった。



演奏が終わった後、澤先生は、誰もが知っている大バッハだからこそ選んだこと、この「アダージオ」が、単なるテンポがゆっくりと言う意味だけではなく「くつろぐ」という意味を含んでいること、時代の速度と自分自身の速度のこと、宇宙の広がりのことなどを簡潔な口調で話された。



ああ、音楽だ。と改めて感慨を深くした。
特に今までの、言葉による激励やメッセージを当たり前に待つようになっていたこの頭を溶解しながら、音楽は、水のように無言で体に染入ってきた。
また、なんていい曲をこの一番最初の場に選ぶのだろう、とも思った。
バッハの曲は、奏でる人によっていかようにも解釈し表現出来る音楽だし、また無伴奏となると、孤立無援の時空に浮かびながら音を選び出していかなくてはならない。
心細い裸の状態で入ってきた新入生に、自らも研ぎすまされた裸の演奏で対峙するため、まさにそのための音楽にきこえる。



自分の小学生レベルのバイオリン経験を持ち出すのは阿呆というものだが、それでも、舞台の上でひとりで奏でることの孤絶感だけなら、ほんの少しは体で知っているように思う。
異様な注視、ダウンライトの光、客席の奈落、奏でることへの自問自答、その払拭。そして音楽への没入。客席から映像ショーのようにコンサートを見る気持では想像出来ない、絶対的に孤独な身体経験だ。
今日の音楽とそれを奏でたひとは、芸術とは突き詰めれば孤独な身体経験なのだ、という原点を思い出させてくれた。そして、この大学が芸術大学だ、ということも改めて。
いい入学式だった。
by meo-flowerless | 2016-04-05 22:51 |