画家 齋藤芽生の日記
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新宿射撃場
美大進学のための予備校に講師として勤めていた八年は、新宿が庭のようなものだった。
帰り際は、伊勢丹の化粧品売場の試用かCD屋で音楽を漁ることで満足して帰路につくのだが、同僚に同年代の男たちが多くいたので、たまに彼らの遊びについていった。
彼らの趣味と言うか存在感じたいが渋かったのが自分にとっても、ほろ苦いような、近くとも手の届かない憧れのような、いい思い出である。
コマ劇場の広場付近に「射撃場」があり、そこに行く彼らに付いていって射撃をした。
物凄く簡易な空間で、飾りも何もない。
ただのテナントビルの空いた一室に薄暗い蛍光灯がついていて、ガラスで仕切られた向こう側の射撃レーンに紙の標的が浮かんでいる。
人生の事情を全部洗い流して清貧になったような感じのおじさんが、静かに銃を渡してくれる。
もちろん実弾が装填されているわけではない。
そこに来る人も若いチャラチャラした者はおらず、酔ったサラリーマンなども皆無で、同じように何かを洗い流したようなシンプルなおっさんたちが黙々と的を撃ち抜いていた。
若い女の私が一人混じろうが誰も不快も興味もなんにも見せず、流れ者しかいない男風呂の脱衣場のように淡々と時間が流れていた。
その無感覚、無感情、無機質に、今まで男に感じていた「男」とは全く違う、男の虚無を見たような気がした。
弾を全て打ったあとは、その撃ち抜いた紙の標的が貰える。肌色の紙にシンプルな黒の印刷。
簡易な紙に穿たれた穴。それがかえって一抹の事件感をにおわせた。
よく「ニュートラル」という言葉を格好よく使う人がいるが、私は何故かニュートラルという言葉に、あの簡易な新宿射撃場をいつも思い出す。
もうひとつ思い出すものは、セロテープの一片を折り畳んだ切れ端の、透明でも白でも黄色でもない色である。
生業は何だったのか知らないが、あの場所にいた、無機質と人間味の狭間に在るような人々の面影は、そんな顔色をしていた。
彼らはなんらかのニュートラルを欲してあの場所にいたのだと想像する。
ただそのニュートラルの本質は多分、女の私に言語化出来るような、勝手にしていいようなことではない。
歌舞伎町のあの辺りが一掃されることにもそこまでの無念は感じなかった。
新宿射撃場が無くなったと聞いた時は、さもありなん、という感じがした。
射撃場に関してだけは、なんだか宇宙に星がひとつ消滅したような喪失感を感じた。
「何かを無くしにいく場所が、無くなる」ということを、しきりに思った。
by meo-flowerless
| 2016-06-08 00:05
| 旅