画家 齋藤芽生の日記


by meo-flowerless

外部リンク

カテゴリ

全体
絵と言葉



匂いと味



映画
日記
告知
思考
未分類

最新の記事

2024年3月の日記
at 2024-03-04 01:47
変奏曲の魔力、からの解放
at 2024-02-28 22:09
2024年2月の日記
at 2024-02-03 14:46
2024年1月の日記
at 2024-01-13 15:12
珠洲 2017
at 2024-01-13 15:11
2023年12月の日記
at 2023-12-16 10:31
2023年11月の日記
at 2023-11-10 06:59
2023年10月の日記
at 2023-10-07 02:03
2023年9月の日記
at 2023-09-23 01:30
2023年8月の日記
at 2023-08-05 03:09

ブログパーツ

以前の記事

2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
more...

画像一覧

藤圭子死す

藤圭子死す_e0066861_22351346.jpg


藤圭子死す。
旅帰りの新幹線の電光掲示ニュースで、一気に東京の影に引き戻される。


昭和歌謡を聴くようになった自分が、最後に手を出したのが藤圭子の歌だった。
ほとんど日常聴くことはないけれど、彼女の歌はいくつかそらで歌える。
自分にとっての新宿の死を知らされた気がする。
そういえばこの前最後に会った新宿はさえない顔をしていた、と勝手に思う。




古い歌謡曲への入門は西田佐知子で、卒業は藤圭子だったと思う。
どちらを聴いたのも鬱々とした日々の中だった。
jポップの言葉はその日々の心に響かなかった。



自分の電車恐怖の傾向が最も現れたのが19歳の頃と、20代後半の頃だった。
転落や轢かれることへの恐怖があり、踏切や狭いホームが今も嫌いだ。
電車を待つときは後ろ向きで駅のベンチの背につかまった。
ひどくなると階段の上で脂汗かいて電車を待つようになった。
長旅の列車は好きなのに通勤通学はいやだった。
大学の始めは近所の級友の車に便乗して何とか通学し、新宿で勤めた20代後半のころは世田谷から自転車で通ったりした。
そのころの不安な東京の光や色の記憶が、彼女らの歌と重なる。


当然、そういう自分の状態をも恐れた。
考えすぎて、脳の容量を言葉数がオーバーし、言葉の海の中で目の焦点が合わなくなる。
合わせ鏡の反復の真ん中で無数の自分が見える光景を、延々と言葉で描写しようとした。



昭和の歌謡曲はそんな蟻地獄を払拭するような、断言する強さと、体に響く強さがあった。



一人暮らしを始めた19歳の日常は、焦げ付いた不安の中だった。
ある日聴いた西田佐知子の虚無的なノンビブラートの声に、ぴんと身震いした。
よく聞いたのは「女の意地」で、意地と言う言葉から程遠い声がかえって凄かった。
自分の女の部分も意地の部分も、どこにも行き場が無いと思えて、その気持ちに刺さる声だった。
都会の白昼に突き抜けていく声だ。はりつめた無の感じは、思春期をしずかに空白にさせてくれた。



藤圭子の声は、穴に突き抜けてく黒い虚無だ。
新宿で勤めていた20代後半は、青春の尻すぼみと大人になりきれないみじめさとを同時に抱えていた。
この声には、電灯を真昼と間違えて夜に鳴く蝉の声のようなこわさを感じた。
でも、歌われている世界の虚構性がしっくりきた。
年齢も性別も関係なくこの世のどこにも突き刺さらない造花、つくりあげられた小劇場のような歌世界。



その頃、空から降ってきたように突然できた友は、人が言うところのゲイだった。
私にとっては夜を自由に飛ぶ新種の蝶のような生き物だった。
青春の世界にも大人の世界にも居場所が無いならば、どこにも留まらなきゃいいと、目的も無く一緒に歩いた。
夜の東京を庭にして、昼には咲かない雑草と造花を見て回った。




東京の夜は、宵のうちの光と影の完成度と、深夜のナトリウムランプ下ゴミ捨場の情けなさと、大きなギャップがある。
ふにゃふにゃの真夜中には、ほんとうにふにゃふにゃした顔の人間が徘徊していた。
大東京の名には程遠い、それぞれの小さいダンボール劇場の中で、精一杯の夜中芝居をする。
本当はそういうほうが真実なのかもしれなかった。
あるわけ無いと思ってた時間の深度のそのむこうに、勝手に蝶が飛んでいく。
追ってるうちに、今まで知っていた町も自分の年齢も置き忘れる。
藤圭子の歌も、一種のそういう蝶だった。



その頃の危うさは、新宿とアパートとの電車二十分ほどの距離のせいもあったかもしれない。
繁華街の光を背にして坂を登ると冷たい住宅街の夜があり、自分のアパート近くの階段にだけ一本の電灯がついていた。



ある夜中、電灯まで近づいたとき、一人の男がずっとその下に佇んでいるのに気づいた。
頭にバンダナを巻いたがっちりした男で、ジャンパーを腕まくりしていた。
平静を装って横を通り抜け、男も別段こちらに興味を示さなかった。
が、男の足元に無数のタバコの吸殻があり、直感的に、人をずっと待ち伏せているなと感じた。
一瞬だけ目があったときの無表情が印象に残った。



数日後、アパートの外で怒号や人の駆ける音が慌しくしたかと思うと、パトカーや救急車の音がし、ヘリまで飛んできた。
すぐ近くの住宅でその家の主人が刺殺された一連の音だった。
逮捕された右翼団体の男をテレビで見て、どうしてもあの日階段下にたたずんでいた男だと思えた。



私は程なくアパートを引き払った。
夜の顔の中にも、見てはいけない顔がある。
本当に死に係る顔を見たら、自分の足が勝手に逃げるのだろう。
新宿界隈で浮遊するような日常が無くなって、藤圭子を聞かなくもなったし、歌わなくもなった。
親友は今も一番大事な友だが、互いにまた違う人生の道を歩き始めている。



花園神社にある藤圭子の歌碑はかなり前からあり、野良猫の巣窟になっていた。
生きながらにして都市伝説になるような不自然さも、新宿だからこそ似合っていた。
でも、架空の夜中芝居は忘れられていく運命にある。
いまの新宿の夜にあるのは、抽象的な大都市東京の影だけなのかもしれない。
年取った藤圭子はその大きすぎる影を見ていたんだろうか。
by meo-flowerless | 2013-08-23 00:20 |