画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


by meo-flowerless

プロフィールを見る
画像一覧

外部リンク

カテゴリ

全体
絵と言葉



匂いと味



映画
日記
告知
未分類

最新の記事

白玉のブルース
at 2017-08-13 15:27
2017年8月の日記
at 2017-08-08 18:20
佐賀日記〜波戸岬講座
at 2017-08-07 23:22
冥婚
at 2017-07-06 02:01
2017年7月の日記
at 2017-07-03 21:51
2017年6月の日記
at 2017-06-07 02:11
2017年6月の夢
at 2017-06-06 04:41
アクの強い辞書たち
at 2017-05-22 20:00
カンボジアの絵看板
at 2017-05-14 01:55
プノンペン日記 2017.5..
at 2017-05-10 09:35

ブログパーツ

以前の記事

2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
more...

画像一覧

島日記16

e0066861_23512953.jpg


湿っぽく別れを惜しむような感傷には浸らせない男気のようなものを、なぜか小豆島の海が発散してるから、浸らないことにする。
それでもこの今日は二度ないことも知ってるので、やはり何かを見ておきたいとも思う。
で、夕暮れ立ち寄ったのが白浜の海岸だ。


三都半島の突端、原生林を抜けて辿り着く最後の浜。
大きなフェリーやあらゆる船が眼前で航行する近さに驚いたことを、思い出す。
砂上に流され果てた漂着物たちがみな、静かな白骨のような終末感をたたえていたことも。


五月の陽射しの下で、私は黙々とこの浜で漂着物を採取した。
はじめは真徳の作品の素材集めを手伝うつもりで遊んでいたが、次第に漂着物拾いは麻薬のような快感を私にもたらした。
ものごころもまだないような、小学低学年の無我夢中のなかに精神が帰っていた。



e0066861_23535389.jpg



どんなに近くてもその浜ごとに違う潮の流れ。その運搬物の結果の微妙な差異に興奮した。
浜によってはただ海水浴客の出したその場の屑が落ちているだけの場所もあるが、この白浜は
海の遥かさを感じさせる残骸に満ちている。
乾ききり、死にきり、色彩も喪った廃物は、妙にすべすべして、かえって清らかに見える。
それを夢中で触っては棄て、弄っては拾い、しまいには貧血を起こした。
 

小豆島と真徳との言葉にしつくせぬ深い感覚の交流は、彼に任せるしかなくて、私はそれを共有も代弁ももちろんできない。
かわりに、私だけのこの島の記憶と考えてまず浮かぶのが、ぶっ倒れるまで夢中になった五月の漂着物拾いの日々だった。


夏期の滞在では打って変わって一度も漂着物集めをしなかった。多分熱中症で本当に死ぬからだ。
漂着物を拾う私と、拾わない私ではこんなに違うのか、と思うほど何かが違った。
泳ぎが下手なのに泳ぐ気になったのも「拾わない私」の心理が一因だ。
まあどっちも私だ。



夏の浜の様相も五月とは変わっていた。
あのとき夢のような色彩に見えた、乾涸びたプラスチックの淡い蛍光色たちは見当たらず、ただひたすら鋭い竹節や流木の屍骸的世界が広がっている。
ただ誰が棄てたか、金色のソファと子分のような白い小椅子だけが、金粉を撒いたように眩しい海面を、黙ってじっと見つめている。



釈迦ヶ鼻駐車場の階段を下りていくと、鴎が群がる波打ち際の大きな物体を見て、真徳が鋭い声で言った。
「何か打ち上げられてる。鯨だよ!」
嘘だと訝しがりつつ自分も、アザラシじゃないかとびびる。
「こういうの通報した方がいいよな」と携帯まで取り出し、なぜかどんどん真実味を帯びていくクジラ漂着説を横目に、たった一人でキャンプ張っていたC.Wニコル的西欧紳士が冷めた目で涼んでいるのを見かける。
「石か?ああ…やっぱり石か」
と怒られた小学生みたいな複雑な笑い顔で真徳は一人で照れている。


e0066861_23521878.jpg

e0066861_235385.jpg




原生林の濃い緑の遥か上、地蔵崎灯台の白い姿が映える。
細長い帯の浜と並行して、ちゃんと航路の右を守りながら多くの船がすれ違っていく。
海を背にして車に戻ろうとしたとき、改めて海上の音たちに気づいた。
ああ、船のエンジンの音が、こんなに海いっぱいに響いていたのだ。
非人間的世界の彼方に記憶を飛ばすようなこの海岸独特の雰囲気は、ドドドドと始終響き渡る切実な航行音のせいだったのだと知る。
音を背にして別れていく時に限って、泣きたくなる。


e0066861_23542413.jpg



二つの小島に見守られるようなこの神浦は、あこがれの海だったが、展示鑑賞以外にあまり縁がなく、訪れなかった。
自分に取っての白浜と逆の印象だ。
同じく夕日が沈む海のはずだが、何か新しい息吹が始まる感じ、神がそこに息づいている感じがある。
いつも鏡のように静かで平衡を保っている光景。



真徳と同じ春会期レジデンスの作家だった臼井さんの作品は、事情によりこの海での実行を断念させられてしまった。
今日は展示予定だったこの浜で、彼の友によるピアノと歌のライブがあるのだった。
臼井さんの作品は「神様のおなら」と名付けられるはずで、この鏡のような神秘的な海にぼこぼこと九個の泡が沸き立つ展示を予定していたそうだ。
そのせいか本当にここにはユーモラスな神様が住んでいるんだと自分も思わされた。


e0066861_23545477.jpg



簡易コップのなかに灯をともす夥しいキャンドルは、精霊舟とはまた違った異様な世界を繰り広げる。
今日は海上の双子のような島の間に、恐ろしく複雑な夕焼けが広がっている。
双子の島には傘が逆になったような黒雲がかぶさり、その脇から血が漏れるように夕焼けが吹き出している。
島の間に時々蛍の光のようなフェリーが横切る。
その辺りの僅かな建物の色を見いだし、しきりに真徳がIさんに、あれが孔雀園なのかどうか訊ねている。


神浦の人々がたくさん集まり、堤防に腰掛けて浜のキャンドルの海を見つめる。
「あれは、あぶないっすよ。そのうちピアノが、浸ります」
「すぐに満潮になって浸るな」
と、MさんIさんが懸念している。


Mさんの計らいでいい場所においてもらった椅子からは、波打ち際に設置された鉄パイプピアノがよく見える。
光る鉄のピアノから、ピアニストによる「神様のおなら」という曲名と裏腹な繊細な曲が流れ出したとたん、二つの島の間を跨いでいた巨大な黒雲に雷光が走り始めた。
皆はその夕立がこちらまで達するかどうかを小声で心配していたが、横で真徳は茫然と感動していた。
本当に神様が喜んでいるんだな、今までおならを我慢させられていたけど、今日は代わりに喜んで光っている。と自分も思って見ていた。


e0066861_23551824.jpg



そのうち予告通りピアニストとシンガーは本当に波に足が浸かり始め、機材のコードも浸かって音声は乱れた。
精霊流しみたいにキャンドルコップが海に解き放たれるのをみんなで追いかけたり、置き直したり慌ただしい結末になったが、臼井さんは嬉しそうだったし、島の人も皆思い思いに手伝ったり笑ったりして見守った。


「臼井さんよかったなあ」
と真徳は酒に酔いつつ何度も呟いた。
あとでMさんに、
「でも小山さん、今日の酔いは心の酔いだったね」と静かに言われていた。
Mさんのいつもの静かな酒宴のあと、固い握手をして、島最後の夜の宿舎の戸を閉めた。
by meo-flowerless | 2013-08-22 01:36 |