画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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島日記1

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誰が縛りたかった訳でもないが長いこと家に束縛され続けた、母を遠い旅に連れ出す。
父も連れて行きたいが、体がもう利かない。父は、母を一人で行かせることをよく許してくれたと思う。
父には何十年掛かった決断だったのかも知れないが、それをいまさら気付くには父の齢は疲れすぎている。いまごろ静かに昼寝しているだろう。


新幹線から母が嬉々として見ている風景は、毎度誰もが当たり前に眺めているような、田のむこうの小山に霧がかかっている普通の日本の風景だった。
「こういう霧がかかった山がずっと見たかった」
それすらを見なかったはずの歳月を感じて愕然とする。
「列車から垂直に延びてる道を見ると無性に哀しいのはなんでだろ」
とも、母は言った。平行に続く道にはなにも感じないのに。
「他人の人生に向かって離れてく気がするからじゃないの」
と自分で思わずこたえてみて、ああ私も、踏切などから垂直に離れていく道に全く同じ悲哀をいつも感じていたなと気付く。

並び沿っていくものよりも、交錯しすれ違ってゆくものに反応する。親子の人生はやっぱり似てる。





岡山で列車を乗り換えた。
瀬戸大橋を渡る時、母は子供の様にわーいと三回くらい言った。
あいにく海は晴れ渡ってはいないが、いつも行き交う虫たちみたいな船は見えた。


四国小豆島には夫の真徳がいる。
この半年離れて暮らし、逢いに行くたびに見知らぬ大人の男のように厳しくなっていく顔。


大竹伸朗『憶速』展をいっしょに見るため、真徳も高松まで出て来た。
数週間前に一度私は見ているが、やはりまた涙が出た。特にスケッチブックの歳月に。
長いこと架空のひとのように遠くから畏怖していた人、今ではその人生や家族の風景をかいま見せてもらうことが出来ている奇跡。
ほんの瞬時に交錯しすれ違って行く怒濤のような光に、ただ打ちのめされる。
画集の帯に大竹さんから「網膜」の言葉をもらった時に凄く嬉しかったことを思い出す。
ああそう、そうだった、網膜の裏のあの感じ、とまた目を閉じる。
網膜に浮かぶ絵の断片、秒殺で消えてく人生の真実、信じるものってそれしか無かったはずだった。


小さな母をお船に乗せる。
「雀が大海原を渡るみたいだね」という。
私は疲れて眠った。母と真徳はデッキで何を話してたんだろう。


眠りの中でずっと思っている。
あたしは、画家とか先生とか名乗りながら、「言いたいことを言いやりたいことをいつでもやる自由」なんて絵空事を、職権乱用みたいに使っている気になってただけなのかも知らん。
正直に生きてたら、真実を表出できる本当の自由なんていうのは、じつは絶望的に少ないのかもしれない。
限られた時間、たった一度の機会に発するたった一言に賭ける思い、それを失敗して滑り落ちていくやり切れなさ。
自分の人生の限界に焦燥しながらそういう断絶の淵から絵を描いていたはずの私自身を、いつの間にか忘れてる。



夫は小豆島で作品を展示している。
展示している、と言ったような生易しいことではない日々を、私はおののきながら遠くで観てた。


九歳年下だという感覚は、もうとうに失せ果ててはいる。
でもあらためて打ちのめされる。
真徳の人生経験が、私の人生経験を確実に追い越しはじめた夏。


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夜に浜で花火をした。
線香花火以外では本当に母には何十年ぶりなのだ。
人生の中で線香花火なら何度かやった、というその線香のかぼそさをかみしめる。



風が旋回して蠟燭の火は何度も消えた。漂流物の発泡スチロールかなんかに蠟燭たてて船作って海に流したりして、母にみせたかったけど、今日はそれは無理だ。
漁船の灯り、灯台、一つ一つ母の網膜を光がなぞって、母は忘れていたいろんな若い時の痕跡を呼び起こしてるだろう。


母を宿に連れて帰るとき真徳は、車でいつもあまり通らない半島の厳しい崖道を選んだ。
そこは小豆島の野生の獣道にもなっている。
鹿の群れを三家族ほど、イノシシの子供、狸らしきもの、スラロームしながら歩いて行く猫が、なんどか夜の中に立ちはだかった。


霊気より獣気のほうが何倍も真実に怖い、とはじめて感じる。
想像の自由より現実の不自由が、何倍も人生に響くのと似てる。

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by meo-flowerless | 2013-07-30 09:29 |