画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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水辺の迷い家

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硝子張りの妙に四角い、大きな屋敷だ。広く美しいのに、暗く誰一人居ない。
いたる所に反射のかたちが光っているのは、その建物が水上建築だからだ。
黒いほど青い空のせいで暗く思える真昼なのか、薄暗い夕暮れなのか、わからない。
松かなにかがしんと水面に逆さに映っている。
何十畳もある部屋の四方は、赤い欄干に囲われた回廊だ。



私はそこにその日から住むことになっている。で、戸惑っている。
どうも何か災禍から逃げてきたような、たった一人だけ無事に保護されたような気がしている。
家具も調度品もなく同居人もいない、がらんとした大広間にたった一人で。
心細さの中から、何ともいえない孤独への変な期待感が、わくわく沸いている。



.......という感じの夢を何年かに一度見る。




あるときは、その夢の風景が、途中で雑誌の中にグラビアみたいに織り込まれているように畳んであるのに気づき、自分で開いてみた。
そしたら目の前の視界が上下タテ方向にどんどん展開していった。
ああ、タテ構図の風景なんだ、と夢の中で妙に納得していた。



あの夢の中の水上の御殿は、私にとっての「迷い家(マヨイガ)」みたいなものらしい。
「神隠し」というのが、いなくなった人を大勢で捜す家族や共同体がわからのイメージなのと比べて、「迷い家」は実際に神隠しに会う当事者の見てきた夢のような体験の光景を指している。
もちろん私は神隠しにあって騒がれたことは無いけれど、奇妙な時空に迷い込んだかも、という感覚はどこかで知っている。
先日記事にも書いた蒲郡にて、ふとあの夢の中の、水辺の迷い家のことを思い出したのだ。



ものすごく美しいのに、閑散として誰もいないこと。
でも、私一人のためにあらゆる準備がしつくされているのはわかること。
沸かしたてのお茶一杯の用意ていどの、わずかな人の気配がどこかですること。
今日から有り余るほどの贅沢を満喫出来る、と思いながら、とても孤独で寂しいこと。
もうもとの日常生活には戻れない、と分かっていること。
災いから逃れたのは良いが、魂が迷ったままこの世にはもう無い、と感じていること。
あの夢の共通項はその感覚だ。



なぜそのような夢を、いつから見るのかは分からない。
でも高校生くらいのときにはもう見始めていた。
あの世でもないしこの世でもない、迷って偶然たどり着いてしまった、どこでもない”其の世”。
中途半端にそんなエアポケットにはまっている時間は、本当は生きている自分に取って、やばいのかもしれない。



実際に旅をしていても、たまに迷い家的な時空に嵌り込むことはある。多くが、海や水辺近くの場所だ。
この水辺の迷い家的時空は、昨年絵に描いた枯れ野と全く対局にある、全く別の原風景のようだ。
「迷い家」時空に嵌り込んだ旅をいくつか思い出してみる。



昨夏訪れた和歌山の雑賀崎。忘れられた夏の保養地だ。
半分熱中症で、水と日陰を求めてさまよった山のカーブは過酷だった。
かつては巨大な『宇宙回転温泉ホテル』が崖の上に聳えて有名だったが、今は跡形も無い。
遥か昔の雑賀衆が身を潜めたままのような殺気。
もう手のつけられなくなった緑の鬱蒼と、言葉を失うくらいの海の青。



崖上のホテル駐車場から断崖の遥か下を見下ろすと、透明な波が寄せる岩場がみえる。
ホテルの中を覗き込むと主人らしき白い服の男が、燦々と太陽の射すガラス張りのラウンジでひとり新聞を読んでいた。
いい雰囲気だな、次にくるときは、ここに泊まってもいいな。
なんて思ってもう一度駐車場柵から乗り出して見下ろすと、空中階にあるそのラウンジ以下の階は、じつはドス黒い廃虚だった。
無惨なコンクリートの穴や鉄骨が剥き出しになって岩にへばりついているのだった。
次にラウンジの中をもう一度見たとき、白い服の男はもういなかった。


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熱帯植物の石段をずっと浜まで下りていくと、コンクリートのアーチに囲われた遊歩道がずっと岩場の周りに続いている。
焼け付く白い海岸には、誰かが巨大なハートを棒で書いたあとがある。思い切りベタな切ない場面がかえって非現実的に思える。
書き手本人はもうそこにいなかった。
この世のものでない者に、「愛」を使って冷やかされたような。


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海岸の背には高い崖面が聳えていた。そこにも黒々としたホテルの廃墟がへばりついている。
穴みたいな窓々を覆う鳩除けのクロスだけが、ハタハタと音を立てていた。
廃墟の一階、砂に面して入口もぶった切られたような穴蔵に、誰かが椅子やテーブルを持ち込んで、「海の家」のような飲食店を開いているらしかった。



でも海の家にしてはあまりに秘密めいた静かな場所で、廃屋的すぎる。
誰もいないが、あるときある時間になると、知る者だけが三々五々黙って集まるのか。
シャッターも前壁も無い、店内はもちろん剥き出しで、風に吹きさらされていた。
瓦礫のせいか、戦中の異国に居るような気もした。



禁じられた遊びをする不敵な子供達が、そのままおとなになったような人々を思った。
その人々が同じ結束と血で繋がっているかわり、異人の私を見つけた瞬間に、色の無い表情でしんとこちらを凝視するようなかんじを空想した。


店の端の方には、エスニックなソファーが置いてあった。
つい数時間前まで、誰かがいたような。
ありもしない「湯気のたった一杯のお茶」の温もり感を感じる。
硝子の入っていない窓の風に、毛羽立ったチベットの極彩色の布飾りが激しく靡いている。
極彩色のそば、黄色の布に『反原発』と印字された布が、漠々と風に吹きちぎられていた。


反原発。
ものすごく現世的な馴染みの三文字のなはずなのに、それを見た瞬間、この世の誰にも自分の人生の痕跡が届かないような、気の遠くなるような感じがした。
天国のような海の美しさのせいか、かえって「廃墟と反原発」がもう遥か災禍の事後の終末感を感じさせた。



遠い東京で反原発を叫んでいる母も、豆粒のように遠く小さい。
同志を見つけても、その心は終わりきってつながることはない。
自分がいたはずの日本がもう取り返しのつかないとこまで行ったんだな、という感覚が襲ってきた。
で、そこ自体がもう日本なんだか現代なんだか分からないのだった。
ただただ黒い青空に押しつぶされる圧迫と、このうえなく孤独な惑星にたった一人で残された感覚に陥った。



後日、家でテレビを見ていたら、草薙剛のドラマの予告で、背景にあの廃墟の海の家がほんの瞬間映ったことに気づいた。
ほんとに瞬間だったが見逃さなかった。
普通なら、やは知る人ぞ知るよきロケ地だったんだ、とか思うのかもしれないが、
そのときばかりは二重三重に時空がねじれて、いつも一人ぼっちだった夢の中の迷い家に突然、一本満足マンが訪ねてきたようなとんちんかんな親しみで、心のエアポケットに草薙剛を迎え入れたのだった。
by meo-flowerless | 2013-01-08 04:20 |