画家 齋藤芽生の日記


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蒲郡大悲殿

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凶々しいくらい懐かしいのか、懐かしいから凶々しいのか。
とにかく、探しているのはいつもそういう風景だ。


斜陽はいろんなものたちの影の具合を変える。
平凡な日々の気配が思わぬ暗みに吸い込まれる。
心も、あり得ない落とし穴の奈落に落ちてく。
 

寒風にちぎれるような山頂には、不釣り合いなくらい眩しい西日が燦々と射していた。
背後には巨大な弘法大師像が黙って立つ。
「遠いけどこれからあそこ目指していく。ダイヒデン」
と夫が海沿いの町並みを指した。


愛知は三河、蒲郡。
ガマゴーリという地名の古くささと、逆光の悲劇的な感じのせいなのか、
京都に昔あったというアジール・悲田院のイメージと間違えて、
ダイヒデンは大悲田と書くんだと勝手に想像した。








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人に忘れられた枯草の鬱蒼。何の研究所か分からない施設の囲い。無闇な立入禁止の札。
貯水の底に何が沈むのか、湿ったコンクリート槽。
観光全盛期に無理して作り急いだ、めちゃめちゃな急勾配の迷路。
枯れた蔓草が毛髪のように思える、怖い窓。
歓楽的悲劇の要因が見事に揃っている。


何より大事な、あの美しい「一抹の疫病感」が、うんざりするほど漂っている。
何かしらの失意をいつまでも引きずる土地の、引きずる人の、怠い熱、凝った孤独、そして疼き。


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オフシーズンの海の観光地だ。
熱帯魚柄のタイルに飾られた白いホテル街は、閑散としている。
東南アジア方面からの観光客の話声だけが建物に空しく反響している。
土産屋の日だまりには、無造作にみかん箱が投げ出されていて、金色の蒲郡みかんが持ってけとばかりに山積みになっている。


剥落スナック街のカーブをぐるぐる回ると丘の上のダイヒデンに着いた。
「あ、ダイヒデンって、大秘殿だったのか」
とようやく気づいた。


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風の音以外はしない静けさ。
『大秘殿』とは要するに、まじめな仏教的秘宝館、というかんじの施設らしい。
たくさんのワニや蛇の擬人化された神像、頭でっかちの乃木希典将軍像、
なぜかホトケのにおいの染み付いた真赤な鳥居、意味もない手水鉢やカエルの陶器などが迎えてくれる。


海の崖を望む石段を数段下りたところが『胎内巡り』の入口だった。
仏体の胎内に見立てられた地下道を巡って、すべてのご利益を一時に得るという趣向。
宗教的観光施設にたまにある。
胎内に見立てられてるのは良いけど、1メートル刻みのいろは坂という感じで、
ここまでうねうねと設計するのはさぞかし大変だっただろう、と笑いがわいてくる。
飾ってあるホトケ様や神像がお互い意気投合していない。
忘れてならないエロ要素も、ほんのり最後にお目見えする。
そういう要素は、浄土の場面なんかではなく、かならず地獄の場面で花開く。

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胎内巡りを終えると、資料館のような部屋がまったりと続く。
いろんな珍施設に行ったが、この大秘殿の懐かしさと暖かさは、どの経験より群を抜いて私に迫ってくる。
なんでだろう?


70年代らしいごちゃついた壁紙の上に所狭しと飾られている、鮮やかな色のこってりとした油絵群がまず絵描きの郷愁をそそる。
オーナーかなにかが絵描きさんなのだろう。
ダルマ和尚の大作もすごいけど、圧巻は、歴代宰相や文化人の肖像画の列だ。


だれもいない円盤パノラマ建築。
磨かれた床に、窓の海景が青く映り込む。
午後のストーブの哀愁のどこかに沸かした湯気の匂い、ここからは見えない人の気配を僅かに感じる。
ハブとマングースの剥製。天皇家の古い錦絵。薔薇の造花、地球儀。
仏を描きかけたドローイングが以外と美しい。
休憩所のようなところにはテーブルと椅子が、ものすごく居心地よく並んでいる。
なんかそれを見て、意味も無く、泣きたくなった。なんなんだ?


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柳田國男の「マヨイガ」(=迷い家)の話を読んで、想像した光景。
誰もいない山奥にふと迷い込んで、花盛りの庭に囲まれた民家の部屋には今作ったばかりのほかほかした食事の準備があるのに、時が止まったように誰一人そこには居ない、という。
無性に、悲しみを感じたものだ。
何かこの『大秘殿』ではそれに似た悲哀に、甘く襲われた。


館内には、これも笑ってしまうくらい70年代調の、ムード歌謡的『大秘殿テーマ』がかすかに流れている。
絶対に、『大悲殿』の方が合っている。
基本は熱海秘宝館と似たような曲調で、熟れた人妻の内股を思わせる悲しみがあるんだが、
歌詞は「私たちのすべてを分かってくれる慈悲深いほとけさま」みたいな内容だった。
夫はその曲を録音するため、レコーダーを持って静かにどこかへ行ってしまった。



休憩所の椅子で斜陽を浴びながら一人で居ると、管理人の老婦人がいそいそと来て、
暖かい三河弁で、今お抹茶出してあげるからね、と言ってまた引っ込んでいった。
この美しい場所であんな優しい物腰で、こんな変な施設を、静かに守る人。
今のこの日本で最も無駄かもしれない、最も顧みられる余地のない、でも最も機微に満ちた、こんな施設を。



絵の中でも人生でも追い求めている「あの感じ」が今まさに、しずかにここにあるな、と思う。


人に対してというだけでなく、土地に対しても、光景に対しても、時間に対してさえ、
うつろであればあるほど、燃え上がる。
うつろさのなかでも、取り返しがつかないという感覚が、私に最も激しい火をつける。
そして取り返しのつかない時間を超えてなおそこにまだ残る残骸は、私を最も黙らせる。


生きて燃えているのか、死んで冷えているのか分からない、
火なのか灰なのかわからない、一緒くたにある泣き笑いが自分の愛の本質だと思う。
具体的な喪失体験から来ているのでもなく、本能的に幼時からこうだと思う。


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ずいぶん時間が経って、思ったよりもドデカいお椀に、抹茶が入れられてきた。
夫がおずおずとお椀をまわそうとすると、
「お作法は気にしんで、飲んで」
と老婦人は笑った。お菓子もくれた。



手作りの花笠風壁掛けとか、なんかの一覧手ぬぐいとか、ポソポソとしたお土産コーナーで例のごとく夫がキーホルダーを見ていると、
「そんなん、はずかしいし、きたないから、もうあげるわ」
と老婦人は恥ずかしそうに苦笑した。



窓の外の夕景は、うまく言えないけど、なんだかじわじわと脂汗のように美しかった。
もう枯れ果てて未来も過去も埋もれたようなのに、まだ何かの不穏をはらんで、まだ何かの予兆を匂わせる光景。



こういうと、もっとうまく言えてないけど、なんというか。
もう凪いでしまった海なのにこの期に及んで、敏感の先にまだ狂気があったり、地獄の先にまだ修羅があったり、人生がもう一度始まったりしたらどうしよう、という、焦げ付くような不安。
が怖い。が、好きだ。



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大秘殿を出て、鏡の中みたいに妙にずれてぎらぎらした夕日の海辺を歩く。
幾百のカモメはたたずむばかりで、人の往来にも波にもびくともしない。
体は冷え日は傾き、夫は遥か数百メートル先をひたすら無言で、もう廃屋になっている「蒲郡ファンタジー館」へ向かって黙々と急ぐ。
訪ねる理由は特にないらしいが、見てみたいというだけ。
工場跡地や広大な空地のようなところをいくつも超え、ファンタジー館に着いた頃には薄暗くなっていた。
夫は、閉館前にこの貝殻づくしの魚介秘宝館に一度訪れている。
私は埃まみれの黒いガラス戸をのぞきこむしかなかった。


あの優雅な愁いを帯びた大秘殿も、もうすぐこのように白骨になっていくのか。
それとも、夕日の中の幻影みたいにあの丘に残り続けるのか。


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by meo-flowerless | 2013-01-04 01:27 |