画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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小諸赤い旅2

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小諸駅。山紫水明のイメージとは裏腹な、埃っぽい西日。はるか四方を、岩絵具で描いたような渇いた山々が囲んでいる。
駅前に漂うのは、かなり格調高い「ポンコツ感」。様々な日本の地方駅の要素を全て纏めて絞り出すとこういう駅になる。「アタリだ」と本能的に思う。





ポンコツというのは、断じて悪口ではない。この感がない限り、私はその地を文章に書いたり絵に描いたり絶対にしない。味があるとか懐かしいとか、ましてや昭和レトロとかという一言では表せぬ、深い闇を、「ポンコツ」は持つ。限りない微妙が、言葉にならぬ余韻が、そこにはある。
東京の青山だの六本木だのと、同じ次元にあると思えぬ風景。
駅構内では、誰もいないが山菜や果物が売られている。西日の影だけが黙って店番。
「キューイフルツ」「ピックルス用」。ナメコがでかい。
長野新幹線のあおりで完全に姿を消した特急・信越本線。停車駅の中でも小諸は大きな駅だったという。ホテルが駅付近に三つ見え、商店街らしき通りもロータリーからv字に延びてはいる。しかしここが浅間山観光の拠点の一つであることも、島崎藤村の地であることも、懐古園という観光資源も、全く関係ないかのような静けさ。

宿泊ホテルは縦に細長い、いかにも駅前の簡便ホテルといった風情。
長期滞在料金の文字がやけに大きく宣伝してある。どんな長期客がいるのだろう。
赤茶色の壁に付いた白っぽい結露の染み。誰も客のないゲームセンター脇の、赤い花柄絨毯カーペットの階段をポソポソと上がると、狭いフロントがあった。灯りが消えている。
フロントから繋がっている店があるので覗くと、鍼灸治療院だった。ホテルとハリ灸。妙と言えば妙、当然といえば当然の組合わせ。
フロント奥、人一人通れるくらいの幅の従業員室には蒼白電球がついていて、薄荷色の壁の破れをガムテープで接着してあるのが見える。客もほとんどいないだろう。予約するまでもなかったか。
かなり侘びた風貌の優しげな従業員が出てきて、静かにチェックインを済ませる。

部屋の戸を開けると、暗い室内が赤い光で満たされている。ラブホテルかと思った。
赤い厚手生地のカーテンが西日を透かし、部屋を光で満たしているのだ。
どこまでも赤がついて回る。
出窓を開け明るくすると、ランプシェードも壁の絵も鏡台の椅子も、カーペットも全て赤系で統一された、狭いけれどもなかなか居心地よい部屋だった。七十年代頃に最盛期だったような感じ。廊下の「サントリーオールド」販売機・中止貼り紙つき、も七十年代感。
注意書きが書いてあるビニール挟みには、「お食事」「大浴場」「お土産」「自動販売機」「ゲームセンター」。全てに斜線。ここがもともとはビジネスではなくれっきとした観光ホテルだったことが忍ばれる。
気に入った。

食事処を探しつつ、町の光景の中に身体を投げ出す。
町全体が「古い段ボール箱」の質感。昭和三、四十年代に掛けられたであろう看板文字の隙間感覚は素晴らしい。スナックややけに多い美容院の名も、何となく気が抜けている。「マモー」「ぽん」「ねこ」「みゅんみゅん」「ウルワシ」「ハイジ」。店じまいしたところが圧倒的に多く、人影よりも「閉じたシャッター」の静かな賑わいという感。

寺からの道は、旧家や古い商店が多い。
物凄く屋根の低い、崩れそうな「釦/毛糸屋」の夕虹の色彩。
骨董屋の佇まいがいい感じなので入る。青ざめた親戚の家の夕食時思い出す。何処の店先にも花が生けてあるが、ここにもムラサキシキブや残菊。様々な秋の実が商品と混ぜておいてある。穏やかな店のおばさんと話し込み「珊瑚」をすすめられる。特に真紅の山珊瑚が目に付く。この、時間停まったような藍染めのような夕景に、その赤だけ恐ろしく浮き立つ。友が「この旅は徹底的に『赤』だ」と言いつつ一粒買う。

骨董屋二件目。奥で沸かす薬缶の匂い、毛糸マットと炬燵蜜柑の匂い、達磨ストーブの匂い。柱時計の埃の匂い、古着物の黴の匂い。放置された大漁旗の染料臭、古い瓶の匂わぬ香水の気配臭、おそらく軽井沢に仕事場持つ売れない絵描きのアトリエ臭。
奥の座敷では店主老人と、買付けに来た古物商が、炬燵に当たりながらまるで博打かなんかを掛け合うように、盛り上がりながら古物を品定めしている。これ以上愉しい人間は今世界の何処にもいないと思うくらい夢中になって彫物や版画などを撫でている。
ブリキの看板類がたくさん売っているが「紅色飼料ベニマッシュ」の紅文字が目に付く。ここにも赤か。

店の隅、古物の間にスッポリ嵌るように達磨ストーブ、その上に卓が設えてあり、つい今しがたまで誰かがそこで話をしていた跡。丸いビニル椅子、小さい器の漬物、乾物、煎餅、銀のアルミの急須、誰かの作った小灰皿の吸殻。 
その一角を見た瞬間、ああこれが本当の幸せだな、とふと思う。町が寂れていようが時代から取り残されていようが、人間が確実にここにいる。
幸福とは手に掴める実体じゃなくて、私の隣すぐそこの「気配」なのだ。何の気配でもいい。人の気配でなくとも。どんな場所にいてもこういう「気配」さえ感じていれば生きていけるだろうと思った。
かなり長いことその達磨ストーブに据え付けられた卓を見ていた。


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金の夕空に流れる雲が、何となく野生の美酒を思い出させる。
とはいえ飲みたくなるわけでもなく、誰も干渉する人も振り返る人もない深閑とした商店街を、ひたすら「スパゲッティーやショウガ焼きがあるごく普通の喫茶店」を探して彷徨う。
どれも日和見スナックといった飲食店の有様の中、やっと喫茶店・キャンデーライトを探し当てる。
店内は案外広く、不揃いな内装の木製丸テーブル、カウンター、籐椅子、造花の蔓草。そしておきまりの「70〜80年代漫画がギッシリ詰まっている本棚」がある。
何処の町でも私はこういうごく普通の喫茶店に入り、絶対にミートソーススパゲッティーを食す。仮に土地の名物料理があったとしても、それより先に「ミートソース」を食べたい。ソースは絶対缶詰でなくてはならず、麺はタマネギとピーマンとともにいためてあって、それに粉チーズを、店の人があとで泣くほど大量にかけて食べる。キャベツ千切りサラダにトマトとキュウリが乗っていてオレンジ色のドレッシングがかかったのがついているとなおいい。
私はかなりいい線行ってる500円スパ、友は王道ショウガ焼きにありつき、黙々ガツガツと食べる。話なぞしたり、ワイングラスを傾けたりしては絶対にいけない。満腹になると気怠くカウンター上のテレビに見入る。ああ幸せ。何も要らないひととき。



店に、スカートは悲しいほど短いが純朴そうな女子高校生達数名が入ってくる。地方に来て気付くのは、騒いでいる学生の声が実は音的にやかましくないことである。東京に帰って都心を歩くと、特に大学生やOLの声の音質の悪さに驚くことがある。
テレビのニュースでは「新宿歌舞伎町で働く女性達の裏側」特集をやっている。
東北から上京、失望、強迫観念、金、逃げては現れるオトコ、カラダ、コインランドリー。様々な「借り」、出来てしまった人生の荷。
東京から遠く離れて見る蒼白いブラウン管の「東京」は不思議である。信州の女子高生達はアナウンサーの口から流れる「東京」「新宿」を、どういう響きとして受け止めるのか。
ちらりと見ると、彼女たちの殆どが「林檎ほっぺ」であることに心動く。彼女たちの未来のベクトルは東京などに向いていない気もした。向かうのは長野タウンなのかもしれない。

あの中の一人位は上京するだろう。
テレビや雑誌が垂れ流すセレブバカ・ヒルズバカ・グルメバカ・自称勝ち組バカの拝金主義的文化を「東京」の真実だと思い込み、現実の深い貧・富の亀裂に夢破れることもあるかもしれない。
でも、あんな見せかけの文化に、本物は何も転がっていない。
リッチな彼/彼女らの住む一部の東京は、おそらく宇宙で一番浅ましくてダサい。例え御曹司とゴールインしても、いい生地の服着ても、おいしいワインを知っていても、ダサい。彼らが何故あんなに必死で「余裕ぶる」のか、考えてみな。本当に面白いこととか愉しいことをあまりにも知らないから、そして想像力のとぼしさゆえ今後も知れる見込みもないから、バカでも使える金銭言語・ブランド言語・デジタル言語だけで人生やり繰りしようとしているのだ。ケチくさ。哀れ。
胸の中に、豊穣な「ポンコツ」を抱いていない人間。もしくはその素晴らしい「ポンコツ」を何故か必死で隠そうとする人間。そんな人生など、本質的には「ダサくて浅くて浅ましい」んだからな・・・と妙に彼女らを見つめる瞳に力はいっていることに気付き、あわてて本棚の漫画に目をそらす。す、すすめ!パイレーツ。懐かしい。
 
夜の珈琲でも、と店を移そうとしたのが、なかった。スナック以外の殆どの店はもう六時か七時で完全に閉める。客と言うよりも店の人が夕食のためその時分だけ灯を点けるようだ。
仕方なく駅の待合ベンチで自販機のカップココア飲む。妙にミルキーでおいしい。高校生の優秀俳句ポスター。「雪だるま今年も私は肉だるま」
ごくたまに発着する第三セクターローカル電車に乗り降りするのは殆ど高校生だし、店をやっているのは殆ど老人。「大人」の見あたらない町。
特に中年の男の影が全くないこの町。が、昼間閉まっていたと思っていた事務所のような店先から、揃いの安ダウン着た女性が三人出てきて、アーケイドの下、定位置につく。ここで男性客が取れるというのか。五メートルずつ離れて立つ彼女たちの、寒そうに縮む背と沈黙した横顔。何故ここ小諸に流れてきたのだろう。

夜の懐古園は死ぬほど暗い。いや、暗い明るいという言葉を忘れるほど黒い。
懐古園内に遊園地があるのに惹かれ、見に行ってみる。誰も通らぬ切通カーブの坂をトボトボと下ると、細長い敷地にカップやメリーゴーランド、ドラゴン何とか、高いレールの上をひたすら平らに走るらしいスワンのコースターなどがある。
山の静寂、こだまが響きそうな闇の中、「明日はあのスワンに乗ろう」とにわかに騒ぐ。遊歩道の下の、動物放し飼い奈落空地から、寂しい鹿の声が答える。




by meo-flowerless | 2005-11-13 21:44 |