画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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夏隣

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夏隣、という言葉は本当はもっと先の季節のことを言うのかもしれないけど、好きな言葉だ。
今日は、次に夏が待ち受けているという気配を存分に感じる事が出来た。


雨のGWの中旅行に出かけているのなら残念だったかもしれないが、今年はうちで休養しつつ制作すると決めていたので、くるくる変わる機嫌の悪い天気をかえって楽しめる。


毎年、実家裏の川で盛大に泳ぐ大量の鯉のぼり。今年も見物した。
中学生くらいのとき突如、五月の橋の上に現れた鯉流しだった。
それがいつしか小さな名物として定着した。
当時は観る人もあまり無く、町内会の心意気にただ吃驚!という感じだったが、今では多くの散歩客がこの鯉を楽しみに来るようになった。





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多くの近所の人々による露店が並び、人でごった返している。
そんなに皆「焼きそば」ばっかり出店してどうすんだい!
というほど焼きそばとソーセージばかりだったが、楽しそうだ。


昨年は悲哀に満ちた傷だらけの鯉、傷だらけの川歩き、という感じがしたのが、今年は人の心がなんとか晴空に向かおうとしている活気がある。


大雨のあとで川は怒濤となっていた。
川が勢いを増すたびに、この町の人々が黙って水流を眺め続ける背中をみて育った。
父もたまに水流見物に私を連れて行った。
大人になった私も、夫も同じように、何の意味もないが吸い込まれるようにして川の淵まで行き、怒濤の水の流れを見つめる。


暗い空を背に、高尾の山々の不揃いな若葉の色が沸々と新細胞のようにわいている風景。
夏の濃い緑一色の山もいいが、木々ごとの葉の色の違いがよく解るこの季節の山景が一番好きだ。


高尾駅まで散歩したところで雷と大雨に襲われた。
売店の傘は速攻売れ切れだったらしく、雨合羽を買ってかぶって帰った。
雨だれの音の聞こえる部屋でゆっくり昼寝をする極楽。


一度晴れ、また夕立があり、夕ぐれに虹が出た。
私は母の虹アラーム係なので、近くに住む母に電話したら、既に気付いており興奮していた。
母は常に、虹を待っているのだ。


虹を見るたび思う。
小さい頃時を忘れ夢中で遊び、この世とあの世との間のエアポケットにぽっかりとはまり込んでいるような時刻。
突然の夕立に振られた時の虹のあの不気味さは、今ではもうなかなか味わえない。
はっとして、何かとてもまずい桃源郷の迷い道まで知らず知らず来てしまっていて、戻り道のわからなくなった、あの感じ。


あの頃は、今より虹を近距離に感じていた気がする。
身近という意味ではない。知らず知らず異世界に近づきすぎた半恐怖だ。
「綺麗」「美しい」という観念を憶える前の感覚というのは、何と大事なのだろうかと最近思う。


人に何かの感想を安易に言わせるような絵を、描きたくはないこの頃。しかし難しい。
虹でもいい、夕立でも、夜闇でも、奈落でも、不意に自然の向こう側を垣間みて虚を突かれる、あのうっと時の停まるような一瞬。


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by meo-flowerless | 2012-05-04 18:01 | 日記