画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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日記

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私の絵に何が本当に必要なのか、この半年あたまも体も駄目になりそうなほど悩んで、様々な企画を脳裏に挙げてみるも、すきま風吹き、


結局、私の絵には悲しみしか残らない、と今さっきやっぱりそこに行き着いた。
その悲しみとは、絶望とは、別のことだが。






昨春死んだあの人の、遺作展のオープニングを終えての夜だった。
参加者の会話の渦の中、その人の元同僚である私と、その人の元教え子である夫は離れた場所にいたが、何となく同じように所在無さげな空ろな顔をしていて、自然とその渦から逃れるように二人で帰ってきた。



寝る前に珍しく夫が問うた。
君は、家の外で、自分の「素」をさらけ出せる人はいるのか?
いないね。
素を見せたいなどと、あまり望んでもいない。と応えた。
ただ、知人のことはそれぞれ好きだ。それだけだ。
そっちもそうでしょうと返すと、俺もそうだ、と言った。



何でそんなことをきくの?
いや、なんとなくだ。



そのあとの沈黙で、彼が同じようなことを考えていたかどうかは知らない。
ただ、そんなことを突然聞いた理由は何かしらあるんだろう。



死んだあの人に、私が同僚として、夫が生徒として、特別に素顔を晒して心を開きまくっていたなどということは、まったくなかった。
ただしあの人は、勝手に傍若無人に、「素手」でこちらの魂を掴むことが、おそろしく上手かった。



その気質は陽性で乾いていたが、こちらの心の、生きた血を流させるひとだった。
覚醒と流血と慕情との生の三原則をあっけらかんと教えてくれる存在だった。
あの素手の感覚を、手から放たれ初めてまざまざと気付いたのだ、たぶん私達は、同じように。



夫は、あの人の教え子や様々な知人が寄せた追悼文集を何度も何度も引っ張り出しては読み返していた。横からそれをひったくって私も何度も読んだ。
別に涙が込み上げるでもなく、共通の思い出に腹を抱えて笑ったりしたが、これを悲しみと言うんだ、と改めて思った。
by meo-flowerless | 2012-03-23 02:15 | 日記