画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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雪猿温泉 その一

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「終着駅、湯田中には午前九時五十一分到着」
特急スノーモンキー号の車掌は、終点、と言わず終着駅、と言った。
昨夜の天気予報では、日本海側には大雪警報が発令されているという。
けっして重くはない光の見える金色の空から、細かい砂塵のように雪が舞い落ちてくる。
白の中、林檎畑の枝だけが風景の底で青黒く絡まり合う蛇のようだ。



はあー 麗しの志賀高原...
湯田中駅に降りた途端駅のホームには、昭和のかなり古い時期の歌謡が流れる。
駅前の温泉郷ゲートの赤文字に一つ一つ丸く雪が積もっている。
数日降り続きっぱなしの雪のせいなのか、ところどころ積雪は50cmほどに達している。
どの軒にも長い槍のような氷柱が下がっている。
こりゃあものすごい日に歓楽にきてしまったようだ。
踏んでも水の沁み出ないまとわりつくような細かい雪は、どこをどう踏んで歩いていいか、解らない。



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朝のうちに駅についてしまったので、夕方の宿入りまでまだ何時間もある。
この大雪では、街中の湯めぐり流しをするような気軽な身動きもそうは取れない。
吹雪に目を細めながら、細長い温泉街の路地という路地を当てもなく黙々と歩く。
常に先行き背中を見せ続ける夫と、何メートルか距離を保ちながら行く。
無口な夫が「笠が欲しい」と、昔の人のようなことをぼそっという。
しばらく会話もせず歩き、やっと口を開くと、今度は「ミノがほしい」とまた言った。



湯田中渋温泉郷は1000年以上の歴史があり、夜間瀬川を挟んで点在する日本有数の湯治場だ。
玄関口の湯田中は道後とならび称される日本屈指の名湯ともいわれたらしいが、疎らな駅前の空間感には、かつての灯の面影は見られない。
それでも夜間瀬川を見下ろせる高低差の多い複雑な町の作りは、雪の翌朝には美しい立体感の在る景色を見せるだろう。



目抜き通りも盛り場も同じように雪に埋もれ、町の表と裏、光と影の役割も、今日は停止だ。
それでも観光地の常らしく、それぞれの軒下で店主や住人が、こまめに雪をかき出したり湯をかけて溶かしたりしている。
人の気配のない外湯が幾つも街中にある。
男湯と女湯の入口。男と女の分かれ道、があっけらかんと道路に面しているそのかんじがいい。
黄色い巨大な除雪車が私達二人をわけて道を何往復かする。
道が平らになると少しだけ本来の町の造作が見える気がする。



私達の目指す渋温泉は、地元民と宿泊民だけに限られた九つの外湯巡りで名高い。
三、四階建ての立派な老舗木造旅館も少なくない。歓楽よりは文学の匂いがする雰囲気だ。
観光客の多くは、渋温泉のさらに先の、地獄谷温泉に浸かりに来る「SNOW MONKEY」こと温泉猿を見物しにやって来る客である。
かつて雑誌「LIFE」の表紙に写真家が山中の温泉に入る猿の写真を掲載し、日本の温泉のシンボルとして一躍人気になったと言う。
そして私達も、正月早々、彼らを見る目的でやってきた。


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数メートル距離をおき、全く同じようなものに目を向け、同じようなものにおそらくシャッターを切り、無言の二人連れはゆく。
商店が少なくなり雪の綿帽子面積が多くなる。
灰色の世界の中に大きな観音のシルエットを発見し、連れがそれを指差し、それを目指せと指示してくる。
ビニールの奇妙な覆いを描けられたアーチの中に石段があり、それを上って世界平和観音に参拝する。雪の孤絶感が世界平和の雰囲気とはほど遠い。
坂を下りたところの「煙草地蔵」のところで夫が一服吸っている。
追いつくと、吸い止しの煙草を地蔵の前に線香のように立てて拝んでいた。



相棒は後続の私に何の気遣いも無しに、急傾斜地区の坂道を通って前に突き進む。
夫が滑って尻餅をついた先の坂の終わりに「関西ヌード」「スナックプレイメイト」。
もう使われていない看板が赤く際立っている。そこが渋温泉の始まりだ。



渋温泉は、湯田中温泉とかなり雰囲気の違うクラシックな、まとまりの在る湯治場だ。
高層和風建築の欄干に見守られた、うねうねと細い旅館道があり、
その合間の軒下に湯を通すパイプが入り乱れる、複雑な迷走路地がある。



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寒さに耐えられずに入った蕎麦屋だが、店の外といい、中といい、雑多なぬいぐるみや土人形、こけしに処狭しと埋められ、土産屋のようである。
店の奥に鏡餅が飾ってあるが、餅二段ではなく、上二段が大小の蜜柑で間に合わせてあるのが、間が抜けている。
熱い茶と野沢菜がぞわっとするほど美味い。



小日向文世似の御主人に、猿のいる地獄谷へのルートを訊くと、色々教えてくれる。
ついさっき相棒が、気が急いて今日のうちに頑張って行こうとした猿温泉への山道は、冬季通行止めだったらしい。
道の角でも雪かきのジャージ少女が、丁寧にそう教えてくれたっけ。
まあ、明日晴れると御主人が言うので、明日行こうということになる。


「山の方の道は、冬季は通れない。そのかわり、上林温泉からの道をみんな行くよ。ほぼ平らで楽だよ。時間はかかるけどね。外国人なんか雪ん中でも平気で歩いて行くよ。今年はこれでも雪は少ない方。山の方はさすがに大雪で大変だけどね」



店を出ると、ちょうど外に居た暢気そうな蕎麦屋主人が、店の軒を指差して
「四時半頃来て見てよ、この辺に。あの軒に渡り鳥が沢山、こっちにお尻向けて一斉に眠るの。あれ何の鳥なんだろう。珍しい、今しか見かけない鳥」
そして、ほら、あいつ、あれだよ、と指差した先には、中型の白黒の緒の長い鳥がチョコチョコ雪道を歩いていた。
「あれ何の鳥なんだろうなあ」
私も何度か見たことがある。あまりにも警戒心がなく、追いかけても飛ぼうとせずひたすら歩いて逃げる無精さが可笑しくて、名を調べたことがある。
「多分、確か、ハクセキレイとか言うんですよ」
といってみた。合っているかなあ。



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無人の商店。
古臭い花柄や幾何学模様の壁紙がせめぎあっている部屋の隅を見ると、意味もなく胸がぎゅっと締め付けられる想いがする。
「歓迎」「みやげ」「まんぢう」などの看板文字の角ばった丸さが、あまりにも昭和に置き去りにされたデザインで、いじらしい。
外国人観光客向けのアルファベット文字で彩られた、日本国ではない、絵葉書カラー天然色のJAPAN国に旅をしている感じだ。
といっても、団体宴会バスの崩れた派手さは、ここには全くない。
今まで行ったことのあるどの温泉地よりも、こっちの心がじっとり潤む何かがある気がするのは、雪のせいか。



店内に入るときの店の静かな、なんかの家電のジー...という静かな音、時計の音。
客が来たのを告げるチャイムが何度鳴っても気付かない、奥座敷のこたつの向こう。
暖房器具はそのままなのに、留守の気配。
商店同士で配り合うであろう新年のカレンダー。
そこだけはずっと新調されないままの、すっかり青くやけたポスター。



どの店や家にも玄関にも立てかけてある、雪かきシャベルの赤や紫が、アルペン感を醸し出している。
民宿のカーペットでも緋毛氈でも褪せた紅絹でもいい、赤いものの似合う土地が大好きだ。
赤と白の組み合わせには、正統で愚直な華と悲哀がある。
パステルカラーやオーガニックカラーで中途半端な飾りをしないでほしい。



商店の向い同士の店主がたまたま硝子戸を開けた瞬間に、「おめでとうございます」「今年もよろしく」と言い合っているのが良い。
どの世帯も正月は大雪に埋もれ、戸のうちでひっそりと過ごし、ご近所同士でもようやく顔を合わせたらしい。


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目当ての湯本旅館に漸くたどり着き、一度荷物を置いてから夕暮れの散策に出る。
射的屋が二、三件、誰の為にか解らないがまだ黙々と灯をつけて、地味な極彩色を硝子戸の内に閉じ込めている。



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街灯の切れる温泉街の末端のところで、何かの生物の声が林の方から響き渡った。
杉の枝を伝って小猿が二匹、電線を一生懸命、温泉街の灯めがけていく。
どこかの露天風呂に入りに行くのかもしれない。
兄貴らしいのがさっさと電線伝いに先に行くのを、あとの未熟な方がキイキイいいながら「待ってよー」と、何度も電線から落ちそうになったり、半ばかんしゃくを起こして必死でついて行くが可笑しい。自分達のようだと思った。
明日はあんな雪猿達を、山に見に行くのだ。



山の厳しさと季節の厳しさを肌で知っている土地は、灯が明滅していても闇が深い。
夜風に乗せて、底知れないなにかの気配がやってくる。



夜の旅館裏の入り組んだ小路はさながら「温泉九龍城」と言った感じだった。
入り組んだ配管、雪の枝、氷柱が光と影の単色コントラストの中で無機質に絡まり合う。
精巧な紙版古のような路地裏をまたぐ、どこかの渡り廊下の灯をぼんやり見上げると、あの隣が自分達の部屋だ、と相棒が言った。



眠る前に縁から中庭を見下ろすと、庭の内だとばかり思っていた青暗い通路は、先程の建物と建物の隙間の路地で、自分達がいた場所だということが解った。



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by meo-flowerless | 2012-01-12 00:01 |