画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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雪猿温泉 その二

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地方自治体のサイトや商工会のホームページに、たまに小さなライヴカメラ映像が載っている。
いろんな土地の現在の天気の様子や交通量を淡々と写しているのを、パソコンを通じてみることが出来る。
うちの夫はたまに、黙々とそういう画像を探しては見ている。おそらく何の目的もないのだろうが。



数多在るライヴカメラ映像の中で夫が気に入っているものがあった。地獄谷野猿公苑公式ウェブサイトのライヴ画像だ。
動画ではなく、朝八時から十六時まで、一時間ごとの静止画をクリックして開けるようになっている。画像を開く。日本猿が山峡の露天風呂につかっている。一時間後の写真もやっぱり猿が温泉につかっている。ひたすら一日中入れ替わり立ち替わり....なのかずっと同じ猿なのか解らないが、猿が風呂につかっている。そしてそれを様々な人種入り乱れた観光客が行儀よくまわりに立って眺めているのも、カメラに写っている。





猿が可愛いとか珍しいなどという理由ではないのだろう、たぶん。
ネット越しの至近距離で一つの場所の淡々とした日常を観察し次第にくまなく知ったような気になっているのに、実はそれは、到底ただでは辿り着けぬような縁のない距離にある。変な時空のゆがみ。
こことそこを隔てているよく解らない見えない皮膜を突き破って、あのライヴ画像の中に入ってみたいだけかもしれない。
とにかく、突然の思いつきで、地獄谷に忽然と現れてみることにしたのだった。



晴れ上がる、雪後の朝。
かつてあまり経験したことのないような雪や氷の華の中、ひたすら黙って、猿の居る山峡の秘湯目指す。
空も青だが朝の山の木々も紺青。晴れ渡る遠い景色の細部の点々とした雪まですべて明瞭に脳に写り込んでくる。
宿から小一時間温泉場までバス道を歩いて上って行くと、やっと地獄谷温泉地域に着く。
野猿公園と書かれた看板から、なだらかな山中の遊歩道をまた小一時間かけて山深い秘湯まで辿り着く。
山の掲示板によると、ニホンカモシカや猪、リス、ウサギなどの足跡を探してみて下さいとあるが、なかなか遭遇しなさそうだ。


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野猿を管理している受付の小屋のようなところから、荷物を預けていよいよ階段を下りて行くが、
人間用の露天風呂のようなちゃんとした温泉にうじゃうじゃ猿がやってきているのが見える。
この野猿公苑では特別の場合を覗いて人間が猿に餌付けすることは絶対にしない。観光客にもそれを厳しく禁じている。
人はただ猿にとって、木と同じ風景程度にしか見えない、という自然の状態が保たれている。
さすがにこんな時期にこんな山奥にまで猿を見に来る客だけあって、遥か海外から来た人でも、近所の人でも、分け隔てなく同じようにきちんとルールを守りおとなしく湯のまわりに立っている。



湯につかっているのはほとんど母猿と小猿の群れらしい。雄猿は遠いところで厳つい顔して餌を雪中にあさっている。
人に近いからだろうか、猿の表情がいちいち台詞を付けたくなるほど感情移入出来てしまう。
湯の中で何故かじっと自分の手のひらや手の甲を代わる代わる裏返して見つめている子猿。
母親の毛繕いをしてあげる兄猿。よく解らなくて見よう見まねで母の顔をまさぐり、ビローッと母の下唇を引っ張ってみる赤ん坊猿。
そうされて「いてていてて......ま、良いか」と苦笑しているような母の表情。



ふと片隅に、汚い毛玉ゴミのようなものがあると思った。
が、他の猿より毛が少なく毛根までずぶ濡れになった子猿だった。
濡れてしまった毛が巻いたまま凍った状態でうずくまり、弱々しく震え、絶対にそこから動こうともせず顔を上げようともしない。
見物客が手出しを出来る訳でもなく、何となく皆、視界の中にそいつが入って気になるのだが、放置している。
他の猿もまた人と同じように横目で気にしながら、そいつを柔らかく無視している。
病気なのかいじめられたのか、生まれてすぐ抱かれない継母に死なれたのか、様々な人間臭いいきさつを考えても見るが、
そんな事情を吹き飛ばすほどそいつの無言の死と衰弱の影が不気味で突き刺さってくる。



別の子猿がほとんどそいつを無視しながらまわりを飛び回ったりしているが、ごくたまに片手でつかまってみたり、石代わりに支えにして別の石に渡って行ったりする。
一時間ほど全く姿勢を変えず湯にも入ろうとしないその子猿を見たりしていたが、人も増え、自分たちの身体も冷えてきたので戻ることにする。



胎児のときから知っていた気がする。命の形が芽生えてから、か弱い赤子の死線を乗り越えちゃんと乾いた肌と開いた眼で立ち上がるまでの、おぼつかない時期。
生物以前の闇。
可哀想さよりもその圧倒的な存在の不安のようなものが一気に襲って来る。
山深い土地や温泉地というものは、なぜか私のそういう存在の暗さみたいなものをいつも掻き立てて来る。
闇に孕まれた不完全な胎児のように生死の曖昧な、自分の本当の弱い魂、胎児にも似た魂の形態が、そのままあの子猿だったような気がする。
野苑公園の人々があいつを特別視して保護するのか、しないのかは、知らない。


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まだ正午前にバスで湯田中の駅前まで行ってみる。
夫がしきりに駅前の、やっているのかいないのか解らない土産屋を気にしていて、どうしてもそこで何かぽんこつなお宝を手にしたいようである。
昨日大雪の中で覗いた硝子越しには、擦り切れた独りがけソファに、めっぽう気持ち良さそうな姿勢で眠っている老犬がいるだけだった。
晴れたせいか今日は硝子戸が開いていた。土産屋でもあり、古着物でもあり、タバコ屋でもあり、普通の民家の土間でもあるような雑多な店先。



私より先に店に入った夫は、もう片っ端からガラクタ同然の年代もの投げ売り状態の土産物を手に入れる交渉を、店のおかみさんと始めていた。
悶絶して欲しがりそうな昭和中期ヌードジグゾーパズルの箱は、たまたま数分前に通りすがった観光客が購入予約して行ったところだと言う。


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老犬はおかみさんに移動を命じられ、すごすごソファを下りる。そのソファには、うちの連れが選んだガラクタ土産の包みがうずたかく積まれていく。
こういう時にだけ夫の社交性はピンポイントで発揮される。
店の奥にも突入を許され、奥からどんどん同じようなだるま土産やこけしを山のように運んでは、夢中で吟味している。
よく喋るおかみさんは、、店の歴史から一品一品の手に入れたいきさつから何から何まで喋りながら、一つ一つ丁寧に店の包み紙で包むので、恐ろしく時間がかかる。
気の毒な老犬ジョン君は居場所を追われて、狭い店の一メートル程度の間をもうずっと何十分も困って行きつ戻りつ、同じ往復を繰り返す。


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おかみさんの喋りも興が乗り、「売らないよ、売らないけどね」と言いながら、昔から残している店の、土産物の最後の一品などを次から次へ持ってくる。
「このおちょこ、ほら、そのジョンの水のバケツでちょっと水入れてみな」
と、盃に水を入れてみると、秘部を露にした女&男のモノクロ写真が瞬時に浮き上がって来た。
「凄いでしょう。これはなかなか逸品だよ。本当に昔ね、店先に置かないでさ、この人は、って客を見込んで、そっと店の奥で、こんな一品が実はあるんすって、御開帳したんだよ」


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結局夫の買いものは7-80品ほどになったので、段ボール詰めしている。
私と老犬ジョンだけが何十分も暇で、一メートル四方をうろうろするのだが、ジョンは絶対に目を合わせようとしない。
十秒おきに店の扉から通りの外を覗いては帰ってくる。



「あんた達東京の人?あ、そう。練馬音頭知ってる?練馬音頭ってさ、なんなのかね、あれ」
「練馬音頭スか?いや...僕たち違う市なので...」
「そうだよねえ。町がちがけりゃ知らないよね。いつか東京の客が来たら聞こうと思ってたんだけど。練馬音頭。うちの二階にさ、何十枚もあるんだよ、何故か、練馬音頭のレコードがさ。何十枚だよ!なんなんだろうか、あれ」
「...いや、こっちがききたいですよ、それなんなんですか」



練馬音頭練馬音頭としばらく早口で呟きまくっていたが、やがておかみさんは自分で現在手作りしている、着物地から作った精巧な貝細工を出してきて、土産にくれた。
夫の土産の山がはけると、やれやれと言った顔でジョンは椅子に戻って元の姿勢できちんと納まった。


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青々とした雪解けの町で、さっき見た猿の毛並みと、犬の毛並みのことを何となく交互に思い浮かべながらまたしばし写真を黙々ととって歩いた。
携帯から野苑公園のホームページを見てみると、ライブカメラに小さく、温泉の畔にぼーっと立ってる私の姿が映っていた。
あのうずくまって凍えていた子猿は、朝から昼すぎくらいまでの写真に同じ場所同じ姿勢で写り込んでいたが、夕方の写真には姿は見えなかった。
どうなったかは解らずじまいなのだが、あそこで凍えたまま固まっていないだけ、何となく生命の細い灯がちょっと垣間見えた気がして、ほっとした。
by meo-flowerless | 2012-01-12 01:00 |