画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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清遊の園

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夕刻からの画廊パーティまでの間に時間があるので、清澄庭園に遊ぶ。


日本庭園にそれほど興味はなかったのだが、どうも「園」と付くものがいよいよ気になって仕方がない。
思えば昔描いた小説『剥落園名所巡り』の頃から「園」が一つの自分の主題ではあったが。


またしても閉園一時間前の回遊。人の気配もだいぶ掃けた頃の公園だ。
それでも先日の神代植物公園よりは人がいる。



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園内の料亭だけに灯が薄く点っている。宴会場の大きな畳の部屋が丸見えだ。
スーツ姿の青年達が何かの祝賀会なのか、暖かい感じで拍手を終え、ぱっと片付けに散って慌ただしくしている。
こういうふうに他者の冠婚葬祭を遠く傍観する時、胸に突然迫るものって何なのだろう。
他人の正装姿の横顔、一堂に会した緊張感と絆のある感じが、何とも美しいと思う。



そして、瞬く間に幹事らしき青年達と仲居さん達とが後処理をし、
誰もいないまま灯だけが点るガランとした宴会場が残った。


何の短編だったか思い出せない。ことあるごとに思い出そうとするのだが。
青年が葬式のたびに出会う遠縁の娘かなにかとの、喪の作業を通じての淡々した交流、無言の思い、というような内容。
一応調べてみて、川端康成の『葬式の名人』だったかとも思うが、これは重過ぎて、何か違うような気もする。
その短編に、縁故の者とそうでないも者もともに正装して揃うときの、
それが祝宴であれ弔いであれ、一種独特のぞっとするような悲哀の美のようなものが、描かれていた記憶がある。



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だいぶ薄暗くなった池の水面には今日の光と影の終わりが全部沈み込もうとしている。
対岸にも小さな庵のようなものがある。
ずっと見ていると、水面に面した園の渕に座禅を組んでいる僧らしきものが見える。
沈黙。ずっと動かない。
黙って無我になって何かを眺めていたりする男の姿を見ると、
顔が見えなかろうが知らない人であろうが背中であろうが時めく習性が私にはある。



池の鴨が妙に青々としてトルコ石のようである。


「ご清遊」という言葉を初めて聞いたときの何とも淫靡な感じを思い出す。
もちろん「清」遊だから男女が手も触れずに清々しくする逢引なのだけれど、
一歩間違って清遊ですまなければ一体恋はどう縺れてしまうのか、という見果てぬ妄想の中に、ものすごく濡れた密度がある気がする。
「ご清遊」に秘められたエロスには、「飯&ラブホテル」のデートメニューがいくら歯を立てても叶わない。


他者の人生の断面が見事に美しく露呈しているのだけれども、
はっと虚を突かれて立ち止まるのだけれども、冷たい硝子越しに触れがたいものであり、一瞥して通り過ぎるしかない。
けれどその一瞥の方が鮮やかだし、激しいし、濃い、と思う。
どんなに普段忙しい毎日に追われていても心だけは、言葉に尽くせぬ微妙な余情の為にじっとりと時間を使いたいわ。

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by meo-flowerless | 2011-12-18 00:01 |