画家 齋藤芽生の日記


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赤家の白猫

赤家の白猫_e0066861_3214543.jpg


「いかにも荒れ果ててわびしい様を見るにつけ
 この家に住む方のまことの奥ゆかしさが
 身にしみて美しく
 あわれに思えてくることよ」

.....なんて、古文の参考書の日本現代語訳に出てきそうな一節を思い出す家々。



中学生くらいの頃はさすがに、荒涼とした廃屋にも近いわび住まいをなぜ昔の貴人はそんなにも勿体なく愛でるのか、わからなかったが。
秋はその陰影の明瞭さで心の角度を変えさせる。
日頃は目もくれずに通り過ぎる廃屋の門や垣根の枯具合が、物寂びて凄みさえ感じさせる。



誰もいない家なのに、カメラを持っている自分を凝視して見張って居るような、見えない視線を感じて落ち着かない。
そしてはたと目が合った。
鬱蒼とした蔦の暗紅色に埋もれた廃屋の屋根の上、金色のきつい目をした端正な猫が番をしていた。
私が先程から写真を撮りまくっている一部始終を黙って上から見据えていたらしい。
まだ細い三日月の鋭さとか、阿修羅像の若い恐ろしさ、そんな電気的な弾きを感じる目つき。
あるいは、映画『西鶴一代女』の凍り付くような白黒の落魄を思い出す。



くしゃくしゃの蔓に覆われた河原の狭い三角地の路地を曲がっても、急坂のすぐ下に赤い廃屋の屋根は見えていた。
赤錆びたトタン屋根の上には誰かの捨てた白いビニール袋が三つ。
よく見ると白の一つは袋ではなかった。
先程の猫が、同じ姿勢のまま90度きっちり角度も位置も変え、屋根の少し別の場所に鎮座していた。
表情も座り方も全く同じまま、テレポーテーションしたようだった。
じっと呪文をかけるようにこちらをにらんでいる。
置物の日本人形が知らないうちに誰も触れていないのにひとりでに向きを変えているような、変な感じ。
青白い顔の金色の目を見るうちにまわりの風景が暗転し、白黒の嵐の中をその猫のまわりに感じる。慄然とする。


帰って、なんとなく、『雨月物語』など読み直そうと思った。


赤家の白猫_e0066861_3333465.jpg

赤家の白猫_e0066861_322784.jpg

by meo-flowerless | 2011-11-29 02:07 | 日記