画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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恋の角刈理髪店

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未明のK円寺駅ホームから見る空。赤の沈殿層と青い上澄みに分かれた、液体のようだ。都心の影を愛おしく振り返る朝。何かあるたび私はこのK円寺の友の家に転がり込む。
彼はホモセクシュアルである。




ホモというのは、男と女の間に位置するのではない。男と女の二元論の間を行ったり来たりするのはバイセクシュアルというのだろう。ホモ達の生態は、バイ達の生態とは一線を画す。
それは、男でもない女でもない、別の処にポッコリで来たこぶのような「独立した性別」なのである。独自の行動形態、性向、生理の多様性を持つ、潜在的にはとてもマイノリティーとは言えなそうなほどの広がりを持つ人々である。
正直なところ、男女の二極しか知らなかった私には、初め彼は全く「不思議な生き物」に見えた。
この不思議な生き物は、今まで私が見ようとしなかった「もう一つの地球」の微細なディティールを見せてくれ、私の知らない「男への恋し方」を教えてくれる。
まあ彼がそういうものを私に教えてくれるのは彼がホモだからなのではなく、彼の性格そのものの激情と詩情から来るのだとは思うが。

友の家の、植物の鉢が沢山並べられたベランダ。
K円寺の夜の街並みを見下ろしつつそのベランダで線香花火をしながら時には互いの恋愛の話をしたりする。相談などしない。ただ自分の話を喋ればいいのである。ホモ男とヘテロ女の二人の男性論は殆ど一致しないので、互いにあまり興味ないのかもしれない。うんとかへえとか上の空で言い合っていれば満足である。
私の知らない時間彼にどんな日常があるのかは知らない。時々話の端々から垣間見るのがいい。

そんな彼の日常。人恋しい夜。ベランダで彼が一人ぼんやり外を眺めていたときのこと。
暗闇の中に一カ所だけとてつもない橙色の灯りを放っている場所に彼は気付いた。
あるマンションの窓。カーテンもなく、中が見える。遠いので人の顔まではわからぬが、複数の男がいるようである。動かずに横顔を見せている一人を除いて、時々別の人影が部屋の中で位置を入れ替わったりする。こんな夜、六畳程度と思われる狭そうな部屋の中に数人の男が集まり何をしているのか、彼の想像は様々に花開いた。

明くる日もその次の日も、その窓が妙に暖かなオレンジ色の光を皓々と放っているのを、彼は見た。夜の蛾がフェロモンを空気のなか感知するように、夜のホモはそうやって夜の光にフェロモンを見出すのかもしれない。友は自室の灯りを消し、双眼鏡を取り出してその光を来る日も来る日も観察し始めた。

双眼鏡の中。完全に彼らの表情が見えるわけではないところが歯痒いが、その歯痒さがよい。
いつも横顔を見せてあまり定位置から動かない白いTシャツの男は角刈り。
角刈り、といえば。やはり、それだ。
その人が、壁に隠れて見えぬ別の人影に話しかけたりしているのが、しばらく続く。
ふとその壁裏の人物が、窓際のソファに移動して、別の人物がかわりに壁裏に座る。その繰り返し。
よく見ると横顔の男はエプロンをしている。
時折そのエプロン男が「床コロ(カーペット用ゴミ取り)」のようなもので床をころころしているのも見える。
彼はついに、
「あの人は、誰かの髪を散髪してやっているのだ」
という推測に行き着いた。

友は夜な夜なそのオレンジの光を遠く観察した。
その期間は、「彼らと一緒に生きているかのようだった」と友は言う。
彼らは冬でも何故か皆白い半袖Tシャツを来て、部屋の中も暖かそうなのだった。
まるで自分たちの姿を顕示するかのような窓の明るい妖しさに反して、淡々と散髪の仕草だけが繰り返される毎夜。その「もどかしさ」の光景にかえって彼は惹かれたのかもしれない。
ある時は灯は消えて暗く、取り残されたような思いがした。ある時は、髪を刈ってもらった角刈りの客が、散髪役の角刈りにお金を払うのを見た。さっぱりした角刈りたちが皆で談笑をする夜。部屋の灯が消えてしまうと、デスクトップパソコンのスリープ画面が何か美しい映像を揺らめかせる青い光だけが届いてきた。人影がカーテンの閉まっている隣室にそっと移動するのが見えた。その寝室が和室らしいことも雰囲気でわかった。
ある日窓辺のソファで、談笑していた角刈り同士が、そっと唇寄せ合うのも見てしまった。
その時どういう思いでそれを友が見ていたのかは知らないが、何となくわかるような気がしてこちらも切なくなる。

その話を聞いたゲイバーのママからあるとき彼はこんな台詞を聞いてしまった。
「あらやだ。あたしがいつも髪を刈りにいってるとこじゃないの」
そのマンションの一室は、いわゆるSG系 (スーパーガッチリ)ホモが好む角刈り専門の「角刈り理髪部屋」であり、熊系ホモのヘアメークさんが切って/刈ってくれるのだそうだ。

素性がわかってしまうと、次第に彼のときめきも失せてしまった。
ほのかな想いの芽生えどきというのは、相手のことを「何となく」しか知りたくないものなのだ、と彼は言う。
遠い距離、自分が暗がりのなか姿見えない一観客だったからこそ、思い切り感情移入できる光景だったのだろう。
特定の人物への惚れ込みでもないし、顔さえよく見えぬ複数の影にすぎない相手。それでも、その状況に、その空気に、その夜の時間そのものに、どうしようもない遙かな憧れと疼きを感じてしまう、そういう種の恋だったのではないか。

私も双眼鏡でその窓を覗いたことがある。彼らは町のどこかで誰かがそうやって覗いていることを明らかに想定しているな、と思った。
見せているのは直接的にエロティックな行為ではない単調な散髪作業。しかし、その淡々とした仕草が放つ遠い色気に、ヘテロ女の私ですら、思わず「慕情」してしまう何かを感じた。

それって「覗き行為」でしょう?とか、常識的なことを思うあなた。
これがホモ特別の話だとしか思えないあなた。
ほんとの恋を知らないね。
恋は遠きにありて思うもの。これはホモであろうがヘテロであろうが男であろうが女だろうが、変わらないと私は思う。
この手に掴めぬ淡い風景への慕情。それも、一つの恋の在り方であり、それこそが恋の極上の醍醐味ではないか、とさえ思う。
私には即物的な成就が決して恋の到達地点だとは思えない。というよりも、到達を目指した時点で「想い」の火は消えてしまったりすることが多い。
「角刈りたち」と、その中に入ることなかった我が友は、私とは別の夜の位相に浮かびながら、そんな恋の詩を見せてくれたのである。



by meo-flowerless | 2005-10-27 03:00 |