画家 齋藤芽生の日記


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徒花香水帖

徒花香水帖_e0066861_5425063.jpg



私の作品は大抵自分の体験、とくに旅などで視覚的に印象に残った断片を元に組み立てていくが、『徒花図鑑』に関しては、実は様々な「香りの創造物」の援護射撃で発想している部分も多かった気がする。
優れた香水を一つ知ると、極上の小説を読んだような気持ちになる。
私の棚には、沢山の謎の花エキス、麝香など織り交ぜた、香水の花畑がある。
もう収入をかなりつぎ込んで買い集めましたもんね。愚かと笑え。



SERGE LUTENS/TUBEREUSE CRIMINELLE


人生の中で一つだけ忘れられない香水を選べと言われたら間違いなくこれを選ぶ。
「ナフタリン臭く蚊がウンウン唸る熱の籠った部屋」から「仄かな月光に照らされる青い裏庭の花園」へと私達を高速度で誘う、目くるめく香調の変貌。
チュベローズ。あらゆる調香師が腕を振るっても、どれがその決定版なのか、どれがその花に一番近づいているのか、答えの出ない魔性を持つ花。
あたしの2dkアパートの裏庭で栽培しようとするも、芽すら出てくれなかった気位の高すぎる花の鉢。
『罪深い月下香』というこのロマンな和訳名を見よ。しかしそれだけでは何か足りない、仏語の『CRIMINELLE』という単語に漂う宿命感と罪業感。
これをプロデュースしたセルジュ・ルタンスの、この上なく神経質で研ぎすまされた世界観。



劇薬の瓶を手袋使ってそっと開ける気持ちで、ウィスキーのような色をした褐色透明の液体に鼻をそっと近づける。
ゴァッ!
何これ、ナフタリン+リステリン+タイガーバームじゃんか!
大抵の人がそこで顔を背けて、これは勘弁、と首を振るだろう。



わざわざフランスから試香もなしで取り寄せた私は、噂の真偽を確かめたくて、そしてその先に待っている花園へ誘われる選ばれた鼻の持ち主に早くなりたくて、恋より切ない気持ちで空輸を待ったもんだ。
そして噂以上のナフタリン&湿布臭のトップノート(香水の香り立ちの中でで一番始めに鼻を襲う香り)を嗅いだ時、ショックで胃腸が地底に沈み込みそうになった。
手首にほんの一滴垂らしたその箇所から漂う強烈な薬品臭に、これは実は本当に毒素を帯びた液体なのではないかと顔を背け、洗い流したくなった。
溜息をついて瓶をその辺に置き、がっかりしながら諦めてさっさと別のことを始めた。
しかし。間もなく手元でまるでクルクルと音でもするかのように、時間が流れ始めるのが解った。香りの時間がさ!
肌の成分となのか、体温となのか、絶妙の化学変化をして、一つ一つの香り成分が別々にほどけていく。



夜の花は白色の地味なものが多いけれど、香りは強く官能的だ。夜目のきかない虫たちに受粉をさせるため、言わば自分の生殖機能の一番甘い匂いを解き放って、誘惑するのだ。化粧気の無い素知らぬ顔をして、淫蕩なのだ。
香水というものが、実は到底計り知れない深い創作物なのだと初めて知らされたのはこの香水によって、だ。
これに出会ってから私の香水狂い、チュベローズ狂が始まる。が、これより良いチュベローズ香は幾つあっても、これほど皮肉に満ちた甘美な思いをさせてくれる香水、は他に幾つも無い。



SERGE LUTENS/VITRIOL D`OEILLET


この夏静かに登場した、嫋々と貧血した、青い血の色のカーネーション。
その名も『辛辣なカーネション』。しかし『VITRIOL』とは硫酸のことなのだって。
ぴりっと劇薬だから辛辣という別いにも使われるのは解るが、ぴりっとじゃすまない、硫酸となると。
『罪作りなチュベローズ』(上記)の対になるような香りになるだろう、とプロデューサーのルタンス氏は言っておる。



薄紫色の透明な液体だ。
これも最初に鼻を襲う辛い薬品臭というか香辛料臭と言うか。一瞬、人を不安にさせておいて、と。
憂鬱な水中花のように、冷たさの中で沈んだ暖色の花がゆっくり花開いてくれる。

カーネーション香は胡椒香にもなぞらえられる。この香りはまさに「胡椒を天花粉代わりに使っている、薄幸の細身の美女」という感じの匂いだ。なんだそりや。
これをつけていると、そのような光景を見たことは無いのだが、青系の色の様々な短冊が何万と下がった七夕の笹が夕暮れの風にざっと揺れている映像が、決まって思い浮かぶ。


じっとりと汗が醒めてゆく日陰の部屋の冷気、背後に忍び寄っている霊気。
おしろいの粉が静かな砂丘に変わる微視の世界。
白いドーランを塗った肌の下で脈打っている心臓。



徒花香水帖_e0066861_5542365.jpg




CARON/NARCISSE NOIR


『黒水仙』。時代の手綱を裏でコントロールした女スパイのコードネームかとも思う命名。
彼女の生まれは1910年代。老舗キャロン屈指の名香中の名香だ。
キャロンはその女性的すぎるボトルも水玉の箱も、何となくこの私にとってさえ古すぎるように思え、ずっと手出しをしなかったブランドである。
しかし、『徒花図鑑』を描いた三十代半ばの頃からの女としての変化というか......ちょっとついてきたかもしれない女の度量が、こういうクラシック香水を自分の肌で花開かせてくれるようになった気がしたので、買ってみた。



しかし予想外に新鮮な花の香りで驚いた。中国の香にも似た癖はあるものの。何だろうか、この琥珀色の透明の懐かしさ。
昭和40〜50年代頃の資生堂ホネケーキを思い出す。孔雀緑に透けたエメラルドの塊のような洗顔石鹸のことである。紅いルビーバージョンもあった気がする。
ホネケーキとは確かハニーケーキの意味だったような。
キリっ!とね。
アイラインの目尻をさり気なく跳ね上げた女、そして口角は自然にキュッと上を向いている大人の女だな。
黒い服にこの香水だけ、で成り立つ世界がある。
汗を全くかかない女よりも、汗をかくたびに毛穴から蜜の色香を発散する獣のような女がいいな、と思わせる。


TOM FORD/BLACK ORCHID


『黒い蘭』。
これをプロデュースした御仁。トム・フォードはエロい。
まああエロスの尺度は人によって違う。エロスなどと言ってしまうと、もう嫌らしさはないし、嫌らしいと言ってしまうと、下品だ。
そういうことを一切吹き飛ばす、思わずグッと欲望飲み込むような「唾ゴックン」が、トム・フォードの繰り出すイメージにはある。
小さい頃初めて「ヌード」という言葉を知った時の感動、あの興奮。
なぜ大きくなって美大でヌードデッサンする頃には忘れてしまっていたのかな....。



一つの夢がある。一度男になって、女のギリギリの「見せない」痴態と媚態ににじらされて、唾ゴックンしてみたい。性別は関係ないのかな...
トム・フォードは「同性の男」が好きな男だが、そういう部分があの唾ゴックンの世界にいる人だ。
ふつうの男的な性欲とも、女の欲求不満とも違う`欲情の感じ`。がゲイにはあるのかも。



この香水のために、わざわざどこぞの国の黒い蘭の花農場を、トム・フォードは買い占めたそうな。
「植民地的視線」だ、その感覚。
黒い蘭が本当にあるのか、あったとしてもそれが香水の精油になるほどの香料を抽出するのか、等は、考えない方がいい。
この香水に使われている他の成分のラインナップを見ているだけで充分媚薬の虜になる。ブラックトリュフとかロータスウッドとか。



肌の上でもう黒い蘭が咲き始める。男でもあり女でもある両性具有の、性のヤバい匂いだ。
ドスが利いたお香のような重さが男性的で、ちょっと駄目かなと顔を遠ざけると、鼻孔にうっすら残っている、山渓の清楚な花の香。
手の届かない幻の花が、帰りかけて背を向けた崖の上に、ちらっと顔をのぞかせる。
崖や洞窟のように温度も湿気も複雑な場所、視点を変えれば、人体の肌の凹凸に沿って漂う、何層もの淫微な空気の匂い。
決して指一本触れさせはしないが、香りはあなたのものと言っているような花、そんな花がいいですなあ。


というような感じで、生まれてきたんだったかもしれないな。
『徒花図鑑』の絵たちはな。
by meo-flowerless | 2011-09-01 05:43 | 匂いと味