画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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無為無策旅行・玉島

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玉島、たましま、という地名がよいと思った。玉という字が好きだ。
手の中で慈しみすぎて少し脂が乗ってしまったのが、玉(ぎょく)。
宝石では、鋭く光りすぎて駄目である。
同じキズでも、人肌裂くのは傷であり、玉に付くのは瑕である。
そんなこんなで、正午前には、神々しい金光町の真夏の光から出て、瑕だらけの玉島の町に居る。



新倉敷駅から海へ向ってバスに揺られること10分ほどの、干拓地の古い港町だ。
バスを降りた途端くらくらと目眩がしたので、相棒だけ町に解き放ち、自分はスーパーのベンチでしばし休む。
今思えばこのときからもう身体が「無理だ」と喘いでいたのかもしれない。
しかしこの陽炎の先にある、まだ見ぬ素敵な裏通りを見ずして、自分だけ引き返すわけにはいかない....
と、意地を張るのが、いつもいけないんだろうがね。


「ホカロン」の弟「ヒヤロン」は、パーンと叩くと薬品が中ではじけて、瞬間的にまるで氷のような冷たさになる代物だ。
これは緊急用に取っおいて、しばらくは飲料水と「冷えピタ」で暑さ凌ぎ。
体温上昇中の怠い身体を起こし、まだ見ぬ海辺の廃れ商店街のほうへ、わが相棒を捜しにいく。
中途半端な細さの道、中途半端な坂の上下、中途半端に斜めな曲角を進んだ先に「銀座商店街」があった。





誰もいない。
焦付く暑さの中でも、ヒュルルと一陣の風が吹く錯覚。


おーい、誰か.....。


照明が暗転、私だけに孤独のスポットが。ここまで廃れていると、無人の舞台で無言劇をしているような気になる。
バーケイド商店街だ。バーケイドとは、「アーケイド」と襤褸な「バリケード」のバラック感覚を混ぜた造語で、今作ってみた。



風もないのに、金色の切紙細工だけがくるくる回る、シャッター商店の軒先。
美しいな、と思って眼を凝らすと、ビールの空缶に幾本もの切込を入れてつぶし、提灯型にして吊り下げているのだった。
「おうおう、写真を撮るんじゃったら今の季節じゃのうて、祭りがあるけん....十月にナァ....」
歯が襤褸になったおっちゃんが自転車で過ぎ、何かよく聞き取れないことを懇切丁寧に教えてくれる。


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アーケイドの屋根がまるで汚れた油紙で出来ているように、黄昏色の光が漏れている。
ただ一つの店とて開いていない。旅館も小料理屋も抽選場も。
かつてここには、住む人だけでなく余所から訪れる人が沢山賑わっていたであろうに。
旅館脇の流し台で、生花を水に浸けるようにして、なぜか商店街のプラスチック飾花の束を冷やしている。


相棒がひょっこり迎えに帰ってきたので、合流する。
銀座商店街を抜けるともう、海近い空気。運河を渡った先に、もう一つ「通町商店街」がある。


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商店街のたもとにあるのは「パチンコ 思ひ出」。
ガレージと化したその空店舗には、70年代頃のサイケな壁紙が残っている。
いつか見た枕崎の廃墟「パチンコ グラハン」と、まるで兄弟盃交わしたような、麻薬的ポップさ。
何故パチンコ屋で「思ひ出」なのだろう。何も最初から、こんなにもレトロになるのを見込んで名付けたわけでもなかろうに。



「思ひ出」向いには、睡蓮の浮いた堀と、昭和的凸凹感のある写真館。
ここはいくらか明るいアーケイド通りだが、銀座商店街と同じようにシャッター商店街であることに変わりはない。
また別の自転車のおっちゃんがすれ違いざま私に、「ぼっけぇ....な写真撮りおって...」とさけぶ。聞きとれなかった。
車庫空間には、どこも腰掛け椅子やちょっとした台や花や写真立てなどが置いてあって、おそらく暇な時の老人の憩いの場所になるのだ。
努力して残してきたのか自然に残ったのか、看板文字が他のところより時代がかっている。昭和でも割と古い時代のものが残っているはずだ。



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モルタル看板建築に、「□◯△」と穿たれているのが気になる。
何の店かは全く見当もつかない。
泉鏡花の中でいちばん好きな、『春昼後刻』と何か関係あるのでは、と一瞬思う。



春の蕩ける光。うたた寝に見る、美しい囚われの人妻と、自分とのドッペルゲンガー。
岩場の舞台上に幾人も座らされた女の列に、かの人妻は居て、何故か男は自分の分身がその女と背中合わせに座るところを目撃する。
緊張と淫靡。
座っている女の背中に自分が指で描き続けるのも、やがて水死するその女が持ち歩くノートいっぱいに書き付けてあるのも、ひたすら「□◯△」の記号。


□◯△□◯△□◯△□◯△□◯△□◯△........
うたゝ寝に恋しき人を見てしより 夢てふものはたのみそめてき......


もしや商店街入口のパチンコ『思ひ出』、これも私の最愛の北原白秋の処女詩集から来てるんじゃあるまいか。
何となく、私にしかわからぬ符牒のようにこの町が出来ているのではないか、と勝手に幻想が始まる。



サイケデリックと物置ックが入り交じったアーケイドを抜けると、町は次第に古き良き蔵多き、昔の商店建築の軒並みに変わってくる。
どこかで木を切るグラインダーの音。ああ真昼だな...と思わせる音だ。
畳屋の店先にアイスクリームの冷凍庫があり、覗くと『畳アイス』なるものが売っている。
小さな社の石段に腰掛けて食べる。抹茶のようでもあるが確実に緑のイグサの味がして、青臭いフレーク状のものが下に残る、美味であった。



そこからどこをどう歩いたか、もはやあまり記憶には残っていない。
新倉敷の駅までバスで戻ろうと停車場に居ると、今日三人目の自転車のおっちゃんに懇切丁寧に
「駅まで行くんか!ほーなら、ココまーっすぐ行きゃあええ、すぐそこじゃ!歩くんが早いわ」
と叫ばれたのだった。


こういう現地人の言葉につられては行けないことが多い。
それから、だだっ広い、何の面白みも無い国道沿いを、遮るものもない直射日光に降り注がれながら、何十分も歩くはめに。
体力が落ちるというより、生命を削られているような危機感が身体をよぎる。
相棒は私を休ませ、気遣ってはくれるのだが、なんせ本人は男なもので、私とは基礎体力が違い、やはりこちらには付いていくのがきついペースを持っている。


これがこの日の午後に訪れる「下津井熱中症寸前事件」への序章なのだった。
by meo-flowerless | 2011-08-20 23:05 |