画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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無為無策旅行・倉敷

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美しさで名高い大原美術館に、わが作品『密愛村』が収蔵された !
で、この夏、それが現地で展示されているとの連絡を頂いたのである。
初めて倉敷の地を踏み、我が作品に再会しにいく。それがこの旅の大きな目的。
この旅じたいが決して「無為無策旅行」のつもりではないので、撮影させていただいた大事な作品展示写真は、改めて別の機会に載せようと思う。


だが。
それ以外の旅程と言えば、かつてないほど無謀だった。
我ながら反省する。
暑い朝っぱらから倉敷の中心街をを出て、近辺の町を取材している途中。
瀬戸内海を望む岡山県の果てでとうとう、やっちまった。
この地出身の内田百閒大先生が「ひだる病」とも書いた「炎天下の例のアレ=熱中症」になりかかったのだ。一漕ぎも貸自転車を走らせられなくなった。
ああ....美しく青く残酷な鷲羽山。二度とは忘れ得ぬ、土地の人の恩よ。


さて、それは脇へ措いて。
まだ元気で活動していた、倉敷入りした初日のことである。
蝉の鳴きっぷりが悪くいまいち真夏と思えぬ東京をあとにして、西日本にやってきた。





イメージ通りの、日本の夏!
殺気を感じるほどの、蝉時雨の轟音。
道ゆく自転車の、「寅さんの妹さくら」的な夏感。
どこまでも菓子の味付けについて回る、駄菓子的ソーダ味。飴細工のように儚げな街の色。
水撒きで取る涼。石段昇るだけで瘴気に殺られそうな、じっとりと熱を帯びた山のお社。
倉敷駅ビルでは何度も繰り返し、甲子園のテーマ『栄冠は君に輝く』の混声合唱が流れている。
ちょっと、できすぎだぜ!


「美観地区」という気位の高そうな名付け方に、大いに警戒していたのだが、やはり倉敷は文句無く美しい。
映画のセットのような完全無欠の運河と白壁の蔵の連続.....
と言ってしまえば味気なくもあるだろうが、やはり、それ以上の美が確実にそこにはある。


宿に着く前にのぞいた「結納の水引」を売る商店では、さっそく、店主の小母さんが私達を吃驚するぐらい歓待してくれる。
これが倉敷人の気質なのか。
絵を描き物を創るのが生業、と話したせいで、同士として共感してくれたのか、なんなのか。
懐かしいように目を細めながら私達を見て、小母さんが水引の組み方を教えてくれる。
ずっと手の中で物を拵えてきた職人の、創造時間の無言の深さ。独特のものがある。
水引細工というのは器用さだけでは駄目で、創る人のデザインセンスが必要とされる。分業でパーツを集めて創るのではなく、彼女一人で、大きな松竹梅の鉢や、鶴亀の立体を編み上げていくという。


学生のころ私も、きらきらと細く光る水引の美しさに魅せられた。でも水引細工をやってのける手の器用さも指導者も無いので、自分であみ出した「花の図鑑の切抜きと色とりどりの水引を塩ビ板でパウチした」モノを切り取って、モビールなど創っていた。
その透明モビールの凝縮された世界をアクリル絵具で描いたのが、初期の花のドローイングとなり、花暦絵『百花一言絶句』となり、吉凶の飾りに彩られた『花輪シリーズ』に、なっていったのだった。
私にとっては水引は大事な原点だったかもしれない、と、なんだか改めて気付かされる。
少しでもそれを伝えたくて口を開こうとするのだが、小母さんがずっと夢中で喋っていたので、自分の絵のことはとうとう話さなかった。
小母さんがその場で魔法のような素早さで作った水引の梅の花をもらって、店を出た。



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町じゅうで児童の創作物をフィーチャーしている感がある、教育衛生がしっかりした町なのだろう。
しかしどんな店の窓にも貼ってある、小学生の習字の羅列は、かなりくどい。


「かいもの」「かいもの」「かいもの」「かいもの」「かいもの」「かいもの」......
「なつまつり」「なつまつり」「なつまつり」「なつまつり」「なつまつり」....



拙い筆文字ですべてを覆い尽くしてしまった内壁もある。そこまでくどいと逆に壁紙のようで、なんだか涼感を誘うほどだ。
スタイリッシュなショーウインドー前にまで、申し訳のように、野太い子供の字の「よみせ」「天の川」が貼付けてある。
白い禿頭・無表情のマネキン二体と、二つのお習字が意味なく絡み、笑いをそそる。


この町の喫茶店メニューには、まだフルーツパフェやみつ豆サンデーの色彩が、存命中。
手作りの吹き流しが、至る所で風に揺れる。眼鏡屋の店先には眼鏡女性の横顔を描き....と言った具合に、一つ一つ、色合いと描いてあるものが違う。
「兄が愛したもの展 お抹茶あります 600円」というささやかな筆文字の貼紙。なんなのだろう。暗いガラス戸の内、よく見えなかったが。


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盆前なので、店先にも商品にも、夏の供物のささやかな色彩感覚がちりばめられている。
塵取りの中の屑までが、まるで七夕飾りのように美しい。


......次第にその、あふれかえる女性好みの工芸的感覚に、若干飽きもしてくる。


運河の白鳥に何も知らずコイの餌をやってしまい、観光船頭さんに優しくたしなめられ、凹んだりしているうち、やはり足は「理由も説明もなくそこにただあるぶっきらぼうな商店街」の面影を探して、徘徊する。



後にお会いした大原美術館の柳沢さんも、初対面なのになぜだか、齋藤さんの好きそうなのはこの通りとこの町ですね、と、地図を見ながら鋭いご指摘。美観地区から外れた、庶民的な生活域だ。
確かに私好み、地上の暗渠と言った感じの「一番街アーケード」を抜けると、自然な褪色を帯びた「川西町」の町並がある。
かつては花街だったという場所。今その華やかな色香は全く感じられない。が、堀に沿って作られた小粒な家屋に、かつて紅灯が点っていた様を想像するのは容易だった。


町を流れる堀の水辺に、時には涸れ、時には勢いよく咲きすぎた、それぞれの家屋の植木鉢が出してある。
ラジュウム温泉の銭湯。立飲みスタンドくらいの佇まいにも見える、やけに小さな庶民旅館。
水菓子という言葉の名残か、「くだものと菓子」と書いてある古看板を掲げた煙草屋。
「レンブラン」と、語尾を濁って読ませる看板のある路地。


相棒が私の百メートル先をすたすたと歩いているのだが、ふと消える。
そんな時はたいてい、気になる商店に吸い込まれて入っているのである。
私が遅れて入っていくといつも、店のメイン棚ではない隅っこに転がっている、商品とも展示物とも貰つかないガラクタ物を、「是非売ってくれ」との交渉中だ。
どんな店でもそういう時の店主は、同じ曖昧な表情をしている。


何者なのかこいつは。早く去ってほしいからガラクタさっさとやっちゃおう。しかし何だか良く見ると不思議な旅人だ。興味もわいてくる。
店主も次第に興が乗って、あれこれと店内に飾ってあるものを、いつ誰にもらったとか、恥ずかしながら自分が創ったとか、喋り始めるのだ.......
今日の相棒の戦利品は、どうにもこうにも歪んだ形の、だれかが紙粘土で造った白イルカ的ウサギと、青い牛の陶器の置物。


西日の乙な演出に、凹凸やササクレまでくっきり照らし出された、町の素肌。
日本人形の頬のように曇りの無い肌理を見せている美観地区の美しさもさりながら、普通の町のあばた顔もなかなか美しい、と思う夕暮。
by meo-flowerless | 2011-08-17 04:11 |