画家 齋藤芽生の日記


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男前の自画像

男前の自画像_e0066861_14284132.jpg


一日に何度鏡を見るかという観点からすれば、私は全くナルシストとは言えない。
が、よく考えれば自分の顔はなかなか好きである。
女の顔として好きなのではない。これが男だったら結構好みだななどと思う。
私は、「男顔」なのだ。




高校二年の夏休み、美術予備校から出された「自画像一枚」という宿題を、六十枚も描いて、周囲を沈黙させてしまった。夏じゅう鏡の中の自分と向き合っていてよく狂わなかったと今では思う。

今はまるで自画像は描かなくなった。様々な理由があるが…歳を重ね丸くなり、自分の「女」度が顔の中に増して行くにつれ、描く気がしなくなったというのが大きい。
なぜ「女」の部分が描きたくないのかはよくわからない。
もう少し「女」が熟したらまた描く気になるんだろうか。熟女の自画像。キモい。
あの十代の頃の、すべてをはじく電気生物めいた雌雄の区別の付かないような迫力は、少なくとももう鏡の中にはない。

当時美大受験、特に芸大の油絵科の受験指導の時、必ず講師が言う言葉があった。
「乙女チックな自画像だけは描くな。落ちるぞ」
チック、というところに時代を感じる。
男はともかく、女の生徒はガーリーなもの、お洒落なもの、可愛いもの、全ての女子趣味的なテイストを絵に込めることを禁じられ、特に自画像では中性的な表情と服装を心がけるように言われた。ワイシャツの胸を少しはだけて腕まくりとか、Vネックのざっくりしたセーターで鎖骨見せるとか。
芸大の教授が乙女趣味を嫌うというのである。

「芸大は極力、女子生徒を合格させたがらない」という常識が予備校界には流れていた。
試験のシステムからして、誰が男か女か名前も顔も一切採点中は公表されず、絵のみを見て採点をするため、その年の課題内容によって、蓋を開けると男の合格者が多かったり女が多かったりとまちまちである。だから男女の比率をコントロールしながら採点など絶対できないのだが、自画像となると「本人の顔を見ながら採点」ということに自然になってしまう。

今、芸大油絵科に片足つっこんでいる立場から見ると、表面的には男尊女卑傾向は無い自由な学部ではあるし、今は断然女子生徒の方が多い。(そしてはっきり言って申し訳ないが芸大の男は本質的なところが「弱い」)
が、やはり女には美術の道はキツイというのが三十二歳女絵描きの率直な感想だ。大学時代の女友達は美術から遠ざかっていくのが早かった。遅かれ早かれ男も女も美術の道では地獄を見るので、早く止めるに越したことはないのかもしれない。芸大は、受験だけやけに大変だが、入ってしまったあとは野放しで、ほとんどが皆、美術の夢とは全く反比例の無惨な末路を辿るのが実状である。
教授たちが皮肉な思いで、若いうちだけは元気な女子学生にたいして「懸念」を抱いていることは確かである。

話は戻るが、とにかく私達女子受験生は、努めて「女」に見せないような、中性的な自画像を描くのに励んだ。キッと睨み上げる挑発的視線、顎つきだした自己主張、反抗的な少年のように結ばれた唇。髪は後ろでまとめ、眉も凛々しく。
やってみるとわかるが、ロングヘアー垂らしたり、巻髪のまま笑顔で唇に濡れグロスとか、花柄エスニックの華奢なブラウス姿などで自画像を描いたりするのは、確かに本当に「絵」にしにくい。

担任の若い男性講師に恋をしていた友達は、ある日思い募った余りか、いわゆる「ザ・女性的自画像」を描いてしまった。長い髪を雨のように垂らし、泣きながら両手でその涙を受け、跪いて切々と訴えている自画像。
いや、よく描けていたと思う。しとどに濡れながらぽろぽろ泣いているのだ。が、気持が分かりつつもさすがに絶句した。
講評会で全員の絵を並べてその子の片思いの相手の男性講師が言うことには、
「うわっ、何これ。泣いてんの?何が悲しいのか知らないけどさ。乙女チックはやめろって言っただろ、さんざん。自分に酔い過ぎじゃないかお前。誰だってこの絵見たらひくぜ」
残酷だ。残酷ですな。男って平気なんだな、こういうこと言うの。
その講師はその子の思いを微塵も知らなかったのでしょうがないにせよ、多感な十代の女の子にとっては、受験世界は女子刑務所以上の場所だったと思う。その子は絵の中で流していた涙の五十倍ほどの涙を、あとでトイレに籠もって流し続けていた。

浪人して厳しいクラスにはいると先生も替わり、自画像「男」化計画はもっと徹底的に激化した。棒で常に絵や生徒の頭をはたくなど当たり前、女の子に絡みつくのも当たり前の野獣講師だったが、根性ある私は妙に、なかば「男」として、気に入られてしまった。

自画像の課題用に、あらゆる光の角度と顔のアングルから、生徒のピンナップ白黒写真を講師自ら撮った。その構図と光の演出をもとに木炭デッサンを描けというのだ。
私が部屋に入るとヘアバンドを渡され、額を出すよう促された。オールバックにして、男らしくしろと言うのである。講師はもうカメラを構えて、待っている。

「おーっお前、男前だな。よしよし。男前は試験に受かるぞ!よし、俺を睨め! おーっ!おっかねえなあ・・・ほんとお前、おっかないなあ!受かるぞ!」
誉められているのかけなされているのかわからない。
「眉も太い。申し分ないな。お前、男じゃないのか。」
そこまで言われるほど男ではない。と自分では思っていたのでだんだんこちらもむっとしてくる。
男前の自画像_e0066861_23385844.jpg


「あっ、そのムッとしたまま眼をギリッと上げろ!バカ、白目にしろって誰が言ったかよ」
こんな感じでどんどん撮っていく。
最後に一言。
「女ならそのヒタイは富士額って言うんだ。でもお前のは男らしいから『猿ビタイ』だな。受かるぞ、猿ビタイは!」



私がこのほかに唯一受験経験があるといえば私立小学校入学時。お受験の幼児教室のようなところに通わされていた。
「お遊戯では、必ず主役に立候補しましょう。女の子は、お姫様とか、女の主役にね」と、先生に吹きこまれていたので、ある時「浦島太郎」のミニ芝居の役決めに意欲を燃やした。
先生たちがなにやらクレヨン自筆のへたくそ(失礼)な「お面」を持っている。
「あれを高く掲げて、この役がやりたい人ーっ、ハーイっ、と手を挙げさせるんだな」と踏んで、私は手を挙げるスタンバイをする。
私が狙うのは当然「乙姫様」だ。女の主役。先生が手に持ってる唇赤い、なよなよっとポニーテールの富士額の面、あれがそうだ。
先生が真っ先にその面を掲げた。
「この役がやりたい人」
何の役かとは、言わなかった。
速攻0.1秒で手を挙げた私に先生はにこやかに、
「はい、早かったわね。
じゃ、太郎はめおちゃんに決定

なに?太郎?何で?乙姫は?
一瞬モノクロームに染まる視界の中、私の時間だけが一瞬止まっていた。

次に先生が掲げたのは、同じようになよなよ・ポニーテールに、花が二三個ついただけの面だった。
殆ど同じじゃんか!太郎と!
その乙姫様のお面に対して私以外の女子が手を挙げて立候補するのを見て、私は呆然と汗を垂らした。

その時はっきり、その私に授けられた浦島太郎のお面に対して思った。
男がこんな綺麗な富士びたいしてたらきもちわるいだろ!!これは女の顔だろ!!あー、後悔しても時、既に遅し・・・(幼稚園語に翻訳して読んで下さい)」

あの浦島太郎の役を買って出たときから私の男顔人生は決まっていたのかもしれない。
その後、受験場で「男顔・猿びたい」の自画像を披露することなく別の課題で受かり、無事大学生活を送った。
が、大学でもなぜか
「お前、おっかないなー」
と深刻な顔でしみじみ先生に言われ続けた。
by meo-flowerless | 2005-10-18 23:49 | 絵と言葉