画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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日記

他人と時空間を共有したり、言語や情報網で繋がり合う世界。
たった一人「言葉にならない言葉」の闇に埋もれる沈思の世界。
そのどちらをも私達は持っている。
使い分けるのだ。その異なる世界をまなざす視線、その異なる世界で発せられる言葉の質を。
メディアじたいが持っている、非常に「感情的な感情」に決して巻き込まれず。
どんな困難な暗路でも「必要な言葉を必要な人に送り届けること」に、心情、技量、勘の、すべてを働かせなくてはいけない。


空気に何が混じっていても、今可能な限りはいつものように外を歩き、今だからこそこの身体を使って外界への身体感覚を開いてこうとつくづく思った。
停電がもたらした束の間の漆黒の闇から否応無しにいろんなことを感じさせられるし、酒宴の光景の無い桜がもたらす春をこの眼で見れば何かまた変わるだろう。
変わり果てた日本の光景をまた流浪う日が来たときにも、それを身体で見る覚悟を持つのだ。


言葉にならない言葉、沈思の闇、どうにもならない悲しみのはけ口、そういったどうにもならない私達のナマの生のためにあるメディア。
芸術とはそういうメディアなのだ。
そして芸術というメディアは、ひとにぎりの自称芸術家の自己表現のためだけにあるのでは決して無い。
歌うこと、吟ずること、描くこと、いじること、叫ぶこと、語ること、眼を凝らすこと、耳を澄ますこと、嗅ぎ取ること。
誰もが自然にしていて、誰もが必要としていて、誰の生にも蠢く本能。激しい心身の動揺の行場が、絶望の暴発に、暴力にならないための。あらかじめ私達に備わった豊かな本能。
我々全てのそういう本能のためのメディアなのだ。
渇ききったこの世界の本能の通り道を、潤すための何かを、自分にひとまず出来ることととして、探すのだ。
by meo-flowerless | 2011-03-31 15:06 | 日記