画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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幻想ソビエト

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                          (写真:`English Russia`より)

*Soviet Architecture of Today 1960s-early 1970s
*Москва: Памятники архитурЫ 1830-1910-Х ГОДОВ
*Avantgarde II 1924-1937 Sowjetische Architektur
*ロシアの旧秘密都市 (ユーラシア・ブックレット)

三冊の旧ソビエト時代の建築資料集と、ロシア関係の文庫の一冊を今注文している。早く来ないかな!




「世界には二つの大国があるんだよ。向こうはアメリカ。ソ連は..あっちの方角かな」
と父がむかしむかし言ったことがあった。
丘の上に孤立していた団地片側の、町田街道になだれ込む奈落から山の向こうはソ連で、
もう片側の、やけに白い砂利グランドにいっぱいゲイラカイトが舞っている暗い空の下は、アメリカだったのだ。

どの方角の空からでも雷がなるたびに必ず「あああれは向こうの『群馬』の方でなるんだよ」と極めて大まかに言う父の、法螺半分 物知り半分のいつもの言い方ではあったのだが、
アメリカ/ソビエト 二極地理感覚は未だに私の体にしみ込んでいる。
そのくせ今ココ日本なんてものは逆に、何のリアリティも感じなかったのである。
私の中にはまだ、東西冷戦時代の不穏な空気の残して行った粗い肌触りが存分に残っている。
それの何かが自分にものを言わせ、絵を書かせる気が、いまだにしている。
冷戦なんてものは終わった。だが、報道のイメージの表面の空の下数えきれない、処理しようのない遺産が私たちには残されている。
今更ながらと解っていても、日本という概念を知り始めるずっと以前から私の中にあった夢想的なソビエトと抽象的なアメリカを、無性に、何らかの具体性を持っておもいえがき直したいのだ。


ロシアに行きたいという夢はもう20年来のものなのだけれど、まるで一生帰れぬ祖国であるかのように遥か隔たった距離にある。
もちろんロシアは私の祖国なんかではない。
が、何の縁もない土地なのに遠い電波のようにあの国の何かと私の脳波が繋がっている気がするのだ。ツーンと聞こえるか聞こえないかくらいの高度を遥か駈けて。
あの頃はまだソビエトだった。私が想い続けているのはロシアではなくソビエトなのだろう。


ソビエトだけではなくて、旧共産圏の国々には全て疑似祖国的ノスタルジーを感じる。
西側の欧州諸国には旅行したことがあるのになぜまだ旧共産圏を訪れないのか。
行くからにはかなりのものをかなぐり捨てて、人の行かない廃れた場所まで足を踏み込みたい。けれど今までその勇気と準備がない。
このままじゃ想像だけで一生が過ぎてしまうのか?
いや、そうは思えない。何となく勘だが、いつか自分は旧共産圏の国々と言うか村々の、私の想い描くあんな風景の中にちゃんといる気がしてならない。

けれどなぜだ。
深く思いだそうとすると、もう既に幼少期からあの無国籍的な人口都市景のむこうに何か別の故郷を見ていたような気にさえなる。
工作船やらスパイやらなんて言葉は知らなかった時でも、一人押し入れに閉じこもり、『`私は今たった一人で夜の海を秘密裡に漂流している`ごっこ』をしていた。
中学にあがる頃にはとぎれとぎれの電波のモスクワ放送や平壌放送の乱数読み上げを深夜に聞いていた。
大学に入って初めて飛行機で西欧に飛んだ時も、ドイツ辺り上空よりもルーマニア上空から見る下界の規則的に並ぶ箱形の建物群と、幾何学的に敷設された道路を、興奮してみていた。

両親はどちらかと言えば絶対鳩派だが、特別左寄りの党活動をしたり娘にイデオロギーを教え込んだりしたことなど全くなかった。
ただ、家には書斎があり壁一面の本棚にわけの解らない洋書や教育書がぎっしりあった。そういう環境は何となく他の友達の家からすると明らかに異質な匂いをさせていた。
両親は教育熱心だったり他の家庭と距離を置いて私立の小学校に私を通わせたり、手作りの服を着せたり、
今思えばそれが私の特質を作ったと言えばそうなのだが、
当時は何か得体の知れない特殊機関で特別養成されているかのような窮屈さと悲愴感があった。
その小さい頃に受けた「特殊機関養成感覚」への屈折した感情が、何となく共産圏文化臭を恋いこがれる理由なのか。
ただそれは甘いノスタルジーではない。

自分が確実に知っているはずのあの時代の何かを時代や世紀が変わったからと言って「なかったことにする」軽々しい風潮への、拒否感。
そこから来る、捻曲がった郷愁なのだろう。

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(写真:`English Russia`より)

English Russiaというブログニュースのページは強烈である。
ロシアのニュースを英語で公開しているのだが、これはいわば冷戦時代の遺物の写真巡礼でもある。

鉱業と工業の煙幕に赤く染まるシベリアの村バスの中まで雪と氷に埋もれる工業「閉鎖都市」ノリリスクの不思議な海水浴光景荒れたアブハジアの村氷や砂の中に打ち捨てられた産業遺産。ソクーロフの映画に出てきそうな砂漠と山峡の村,ソ連崩壊後どの国からも統治されずに放っておかれたままゴーストタウンになった町
鋼鉄のヴェールの向こうにはこんなに荒涼として苛烈な光景があったのだ。
しかし極めて淡々と、これらの写真は並べられている。
クライシスとか平和とか言う簡単な批評を口ごもらせるような光景。これをもし実際目の前にしたら本当に人生の何かが変わるだろう。
この光景の中今も素朴に暮らしている人もいるし、同時に今も野晒の廃棄物は猛毒まじりの風化を続けている。体制は崩壊しても、軍事とは別の理由で、もう外から許可なしには入れぬ閉鎖都市がいくつもある。
生きている上でまず大事なのは知ったかぶって善悪の判断を口にすることより、まず「見ること」、それに尽きる、という気がする。
私はいつかこういう光景に立ち会うことがあるんだろうか。足が震える。
これらの光景を知らずにいることと、知っていることとはまず何か前提からして違う。

また下記の幾つかのページも、よい。なにか物凄い。

こんな徒花みたいな誰にも祝福されない、愛らしくも不気味でもあるバス停の向こう、永遠に広がりを続ける荒野。(christopher herwig)


大国ソビエトの見果てぬ夢の都市計画ドローイング。(Schusev State Musium of Aschitecture Moscow)

どこかの孤独な星のロードムーヴィーみたいだ。
(Eric Lusito)
by meo-flowerless | 2010-11-17 00:47 |