画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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浅草潜伏 一日目

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アートプロジェクトの作品制作のために、
ビジネスホテル住まいをしてまで取り組んだ台東墨田リサーチ。
一日目から途方に暮れた。





まず朝から、ホテルのある厩橋界隈の墨田区本所、駒方あたりを歩こうと決めていた。
が、歩き出したとたん「本当にその風景が作品になるのか?」という悪魔のささやきが脳に響く。
炎暑のせいなのか、台東区側が私を呼んでいるのか、なんだか本所の風景に感情移入できず。

予定を変え河岸を変え、まずは浅草駅前に移動しマックで朝食。
今日いったい、何度喫茶や冷菓で喉を潤すつもりなのか、私は。

頭を整理する。

実は作品のイメージがリサーチより先に固まってしまっている。
舞台は浅草寺裏あたりの薄暗いホテル街。
それと、随所に点在するモルタルの民家の壁の感じである。
それを本棚型の立体、ホテルのマケットにするのだ。

そもそもは合羽橋の木賃宿『台東旅館』の、
モルタルの汚れきった風貌を見てヒントを得た。
松屋デパートの裏の灰色コンクリの裏窓・九龍城感覚にも触発された。


雷門は多くの外国人が集まるカラフルな観光国際感覚にみちている。
西浅草、花川戸はむしろ、国際感ではなく、
所属を持たぬ流れ者の寄る辺ない無国籍感、いや無場所感が漂う。
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もう何度か浅草寺周りは歩き回ってしまっている。
歴史を調べればそれなりに、芋づる式に出てくる場所でもある。
江戸領域極限の盛り場、
芝居と色物の極北のような「悪所」を請け負ってきた歴史がある。
かといってそれを調べて、本当に今作りたい作品のもやもやしたイメージに結びつくのか、
どうしてもしっくりいかない。


リサーチなんて名ばかりのきれいごとじゃ、作品とは決してすまないものなのだと思う。
動機とは、思わぬところで、不慮の恋心のようにやってくるものだから、それを大事にしたい。
観光促進のためと言って浅草のいいところ探してアピールするなんて事は、正直無理。私には。


私は、どの土地でも浮遊感を感じたい。
よそ者でいたい。
違和感・居心地悪さ・白々しさ・寄る辺なさにしか、哀愁と色気を感じない。
そしてその悲しみと色気が、私の最大の、ものを作る動機だ。

その薄情けと色気を、すでに私はこの土地で生々しく感じている。
余計な取材行を止め、もうこの感覚に身を任せたほうがいいとみた。


花やしきまわりをしつこいほど彷徨し逡巡し、
さすがに町の人々や商店の爺さんにじろじろ見られる。

写真にも映像にもいやと言うほど建物の細部を収める。
初音カオス通りの葡萄棚の下でホッピングする飲み屋街の少女。
全裸で行水する八百屋の少年。
芝居小屋前でファンの女とじゃれる白塗りのまた旅姿の役者たち。
道行く老男子には、何か役者の剥げた白粉のようなものを感じ、
逆にたまに見かけるきっちり黒髪整え結った人形のような老女たちは、
古い真赤な口紅たくさん立てた鏡台みたいだ。
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いい映像は撮れてる。
でもこれらは直接作品につかわなくてもいいような気がする。


酷暑の中何度も足が止まる喫茶店の冷房の中で、
きついレモン水飲みながらひたすら思い巡らせるのは、
キーワードを見つけたいと言うその一点だ。


最近旅したいろいろな土地のいろいろな地形。
目くるめく風景の流れ、風通し、背後のない闇を思い出し、
しばしぼうっと追憶する喫茶店の椅子。
地方のほうがいいなあとつい思う。
スカーンとした日本の闇が背後にある。圧倒的な抜け感があるのだ。


それに比べて浅草はまったくと言っていいほど風通しがない気がする。


ああ、そこか、それだ。
この碁盤の目の道々の人工感、
高低差のない地面、ドン詰まりの盛り場地形。


華やかな歴史の裏には必ず掃き溜めがあり、
そこがひとつのカオスとパワーを持つはずなのだが、
そしてそんなものを私は期待してきたのだが、
今その吹き溜まりの腐臭が噴出する穴もなく、その勢いもなく、
歴史の裏影はただただすがれて裏道に転がっているだけだ。
残骸みたいに。


寺の裏のホテル街に今でも宿泊するであろう人の人生、背後の闇を想像する。
時はもう昭和のカオスではない。東京はもう遠い中央ではない。
何の目的で何しにこの街に来てそんな安ホテルに泊まるのか。


外国人観光客のいかにも海外めいた感覚のほかに、
もっと無国籍な謎の目的を持った人がひっそりそこに潜伏している気がしてならない。
そしてその人の特徴は、「老いて」いることにちがいない。
それが新宿裏と違う気がする点だ。

老いてもう行場も目的もなくなった人を、
なんとなく受付けもはねつけもせず、そこに置く。
そんな甘さが浅草にはある。それは暖かさ、とは違う。
ほかの東京の都会の生存の厳しさと違う、
半分涅槃に片足突っ込んでいるゆるさがある。
老い。死までの潜伏余生を孕むこの街。
生死や去来を一切ほうっておく店々の主のポーカーフェイス。
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閉塞感なのかもしれない。
今度の作品で徹底的に描きたいのは。


人生の終点でありながらまだ墓に行くには遠すぎる、
目的のない盛り場余生の、抜け感のない薄暗さとうす情けに、
息も詰まりたいんだ。
その苦しさにおいてのほうが私は浅草を愛せる気がする。
勝手な思い込みで悪いけれど。


こんなこと展覧会の共有ブログには書けないな。
by meo-flowerless | 2010-07-20 23:16 |