画家 齋藤芽生の日記


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ピアソラと流星群

ピアソラと流星群_e0066861_14333882.jpg


数年前まで、世田谷・池の上に住んでいた。下北沢から坂を上がった町。
閑静な住宅街だが、深夜でも、空遠く下北沢の祝祭気分や料理の匂い、騒音などが大気に乗って伝わってくる気がした。
高台のなかでも最も高いところにあるアパート。六畳一間、南二階の角で明るく、窓からもベランダからも空の光や夜の大気が存分に流れ込んでくる、風通しのいい部屋だった。




夏の夜はベランダに小机や椅子を出し、冷奴と焼魚を並べ、遠い多摩川辺りの花火に見入った。雷の通り道でもあり、虹の多発地帯でもあり、妙に赤すぎる夕陽が窓の真正面に見えた。月も、二つの窓の四角の中を青い軌跡を描いて通過する。太陽と月の位置関係がどうも不自然と思われるほどいつも何かの光が射し込んだ。すべての天候を見物するのを楽しんだ。

或る初冬。午前三時頃まで起きていたが、眠くなったので灯を消した。
私は寒がりである。炬燵すぐ横に布団を敷き、横なりに丸まり、背中半分炬燵に当て、足は布団の中に投げ出すようにして眠る。そうしないと寒い季節は眠れない。
うつらうつらしていると、はっと思い出した。

「今日は流星群がある日だった」
起きあがりベランダに出てみると、夜中三時ではあるが近所の若者も通りに出て空を見上げ星を待っている。アパート階下の人もベランダに出ていて、少し会釈。
都会の夜空は絶望的に光濁りし、殆ど赤いくらいだが、そんな空にでも流星群を見ようとする彼ら。私も同じ人種だ。

しかし寒い。
半纏を着ても綿入りスリッパを履いても襟巻を巻いても、このベランダに立って、いつ通るか解らぬ気まぐれな流れ星を待つような身体的根性はない。

そこで、炬燵と布団を強引にベランダ際まで引張ってきて、窓は開放したまま、身体にオムレット状に布団を巻き付けながらすっぽりと炬燵に入れるようセットした。
そして、仰向いて、首だけベランダに出して横たわった。

やってみると、これが最高にいい。
雲流れる幻燈的夜空が一面、頭上に広がる…のにちゃんと身体は炬燵。
荒涼とした大気に全てが吸い込まれていきそう…でもしっかり布団の中。
冷たいのは髪と鼻の頭だけだ。
炬燵の中で温まった肺に、冷たい外気が呼吸とともに流れ込むのをはっきり感じる。
空飛ぶ布団のまま、夜を渡ってゆくようだ。
自分の視野が感じうる限りの空間というのは、こんなに無限に広かったか、と改めて不思議になる。
いつも旅先の海岸や草の上で寝転がるたび思うが、人はとにかく横たわって、空と、全身(この夜は半身)で対峙することが必要だ。

こういう楽しみを見つけると一気に祝祭気分が盛り上がり、「音楽、音楽」となる。
なにか特異な状況や光景に合う音楽を探すときは夢中になり寒さも忘れる。

天鵞絨の夜空。
黒い果てない大気を渡ってゆく不気味な灰色の雲と月。階下からかすかに漏れる深夜食の匂い。枯れた十一月。わずかしか見えない星の、それでもなにかを物語る青い目つき。
こういう夜には、倦怠く微熱気味の、黒いタンゴがいい。
選んだのはピアソラ/コンフント9の「バルダリート」。同じアルバムの中でも三曲を繰り返し聞く。
3.HOMENAJE A CORDOBA
4.DIVERTIMENTO 9
5.FUGA 9

9人編成というかなり重厚な音。自分の持っているピアソラのアルバム中でも一番好きである。極端な前衛的切れ味や現代アレンジ風とも違い、逆に古めかしい編成でもない。
「大人の中の大人たち」が夜空の星の上で架空の楽団を組んでいるような、落ち着いた密度の濃い曲が揃う。
選んだ三曲はまさにベルベットと深紅絨毯の夜、紫の晩秋に銀刺繍の感じ。


前奏ソロソロと不穏な弦の音が、流れる光の雲と合っている。
テンション低く続く暗い物憂い旋律。「酒一滴入れた珈琲」色の深夜ジャズ感もある。星降るような幽かな音。
ピアソラの旋律が好きなのは、「不機嫌」な旋律だからである。泣いたり大袈裟に詠嘆したりするような暑苦しさはないが、絶対に笑いかけてこないシリアスさと物憂さが徹底している。
私が聴いたことのある限り、南米の音楽のメロディーラインはどれも不思議に「媚び」がない気がする。

鼻の頭は凍りそうだし、半・炬燵の格好は少し恥ずかしいし、隣家のベランダに人が出てきてこちらを見たらまるで生首一個だけベランダに突き出ているようで驚くだろう。
でも、こういうことに夢中になっていると、すばらしく魂の解放を感じる。
ずっとこういうことのみに命を懸けて生きていきたいと心の底から思いつつ、星が来るのを待つ。


流星の音は、眼で聴く音。
夜空の何処かに、「ヒューッ」と「カーン」の間の微妙な気配音を、耳と眼の間くらいの器官で察知しすると自然に、動体視力が白緑色の流星の尾を捕らえる。
一個見えると、擦鉢状住宅街のあちこちで声が起こって、池の上住人の多くが星のために目を覚ましていることが解る。その声の反響音も夜の大気を渡ってゆく。

八王子に引越してしまい、殺伐とした町ゆえ、裏の川以外に何の楽しみもない。
今はお金はないけれど、いつかまたあの池の上あたりにふらりと居を変えるのが夢だ。



*バルダリート/アストル・ピアソラとコンフント9+アメリータ・バルタール (BMGジャパン, BVCM-37003〜4)
1972

つい数年前買ったのに、もう国内盤は廃盤らしい。日本人は音楽をポイ捨てしすぎ。 
by meo-flowerless | 2005-10-05 18:10 |