画家 齋藤芽生の日記


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注文のない料理店

注文のない料理店_e0066861_14351927.jpg


小学校は電車通学だった。
電車の待時間、国立駅の端から、ビルの谷間に押しつぶされそうな「染物屋」の裏庭を毎日見下ろしていた。



緋色や浅葱色の裾ぼかしの布を狭い庭一面に干し、店主はステテコ姿、暗い畳で青く光るテレビに見入っている。相撲中継をやっているのがはっきり見えた。他の風景はすべてぼやけているのにそのテレビの画像だけに焦点が合って、何よりもはっきりと目に飛び込んでくる。
奥さんは険しい顔でいつも染物を干していた。ただならぬ険しさに思えた。
毎日見るので、その家の人の心の浮き沈みや事情まで知っているような気がした。
瞬く間に開発が進み、小洒落た街と化そうとしていた国立。無惨なまでに頑固なその家のありようが、子供心に焼き付いた。
その頃から、遠くの家の窓の中のテレビに見入ったり、閉まった店の暗い硝子戸の内を覗いたりする癖がついた。

高校二年から浪人一年目まで通った美術研究所は、三鷹にあった。
三鷹駅ホームから、恐ろしく古い、昭和十-二十年代を思わせる本屋が見えた。貸本屋だったかもしれない。
黄色いブリキの看板に「のらくろ」表紙めいた字で『ごきゅう書店』と黒々書いてある。
毎日ホームから見るので、友と「ごきゅうとは、一体何か」と論じあった。

ごきゅう書店の前を夜に通ってみた。木で出来た棚が張り巡らしてある店先に、畳のような台があり、雑誌のようなものが数冊ぽつ、ぽつとまばらに置いてあるだけ。
寝起きに見る光のような、赤み帯びた裸電球。よく見ればちゃんと商売をしているようだった。
立ち止まって土間の奥を少し覗いた。
「高野長英」の肖像にそっくりの着物姿の禿頭親父が、立て膝で花札か何かをしていた。
江戸時代を見てしまった気がした。瞬時に、頭の中の時代感覚が花吹雪のように崩れ去った。
その後も駅近辺を歩くと、赤や青のネオンの町の向こうに、高野長英が同じように立て膝をしているのを見掛けた。

染物屋もごきゅう書店もしばらくはその敷地に踏張っていたが、無くなったときはあっけなく、ある日電車から見ると跡形もないという感じだった。染物屋はひょっとするとビルの谷間に隠れただけではないかと淡い期待を今も寄せてはいる。

美術研究所。大通りから一本入るともう閑静になる武蔵野の倦怠の中にあった。隣は警察で、塀の裏にすぐあるのは遺体安置室。
通りの角は静かすぎるラブホテル「やしろ」。友達と、絵具まみれの作業服姿のまま裏口(客には通用口)付近にしゃがみ、滅多に来ない二人連れの客を張って、入りづらい客が何回も付近をぐるぐると、私達が去るのを待つように循環するのを楽しんだ。
時々窓に、目が覚めるような青の回転ベッド用丸布団が干してあった。それを見ると妙に晴れやかな気持になった。

道の行き帰りに気になる物件があった。
閉まっているのかいないのか解らない、灰色にくすんだ、小さな洋食屋「イイ・オ」。

友と「イイ・オ」とはなんぞやと語りながら歩いた。
何かアルプスあたりの言葉のような、ただ飯尾さんという人のやっている店のような、とにかく私達の生まれる前の時代の語感だ、と話した。
イイとオのあいだの「・」に、大仰さを感じた。
冬鴨の毛色のテント看板は虚ろに褪せ、ガラスケースのサンプルも最早青くなるほど色褪せている。まともな料理のサンプルはなかった。「営業中」の札もなく、灯がついていた試しが無く、外から見ると廃墟同然だった。
しかし扉越しに暗い店内を覗くと、不思議なことに暗い店内はきちんと掃除され、真白で大きすぎる立派なテーブルクロスが、まるで客を待つかのように整えられている。布のナプキンは折り畳んで筒型に立てられていた。本格的な洋食卓にしつらえてある。 

その店を何回友と覗いたか解らない。ピンポンダッシュをやる小学生よりも子供じみた覗き方をしていた。
夜、その店の前で「イイ・オーーーーッ」と奇声を発して逃げたりした。
ある日、店の奥の灯がぱっと点き、玉暖簾のシルエットともに、恐ろしく陰気なおばさんがしかめっ面でこちらを見た。陸上部時代もこれほど速く走れはしなかった、というくらいの勢いで逃げた。

その後も毎日、店の前を素知らぬ顔で通ったが、もう覗くことはしなかった。
憂鬱な曇天の夕闇の中、時折半分だけ店のドアを開けて身を乗り出し、おばさんが通りの先ををぼんやり眺めているのを見掛けた。半分だけの隙間、何かを切羽詰まって待っているようにも見える、思い詰めた表情。
いつも絶望的に陰気な顔で、貯水池のような濁った色のカーディガンを着ていた。

「入ってみたいね一度」
「中のテーブルクロスはピカピカなんだよ」
「”注文の多い料理店”みたいにこっちが取って食べられそうだね」

まさか店が開いているとも思わないので、それ程本気にならぬまま時が過ぎたが、ある日先輩浪人生の女子二人が、それを敢行した。どうだった、とみんな彼女らのまわりに群がった。それからの話はこうである。

暗い店内に入るが案の定誰も出てこない。一応椅子に座ってみたがメニューはない。やはり外から見た通りテーブルクロスとナプキンはやけに大きく、ちゃんとセットされている。
やがて中からあのおばさんが音もなく出てきて、物凄く憮然として凝視した。
「あんた達、なんですか?」
「あの、客です」と返す彼女ら。

しばしあの青い炎のような不機嫌のままの顔をしていたおばさんは、今なにも食物はない、と言った。彼女たちも悪戯ざかりだ。ここで引き下がってはと思い、
「そんなこと言ったって、私達は、食べに来たんですから。」
と返した。
「じゃあ、これから買いに行きますから」
と、無愛想な一言を残し、おばさんは消えた。

暗い、テーブルクロスしかない店内に長いこと残された二人は、不安にもなり後悔の念も生じ始めた頃、おばさんが帰ってきた。
おばさんは皿をテーブルに置いた。
そして、買ってきたポテトチップスをざらざらざら・・・とそこにあけた。
「どうぞ」

そんで私達それだけ食べて帰ってきたのよ。と彼女たちは話を終えた。
「負けた、と思ったよ。さすがに」
確か300円くらい取られたと言っていた。

その話を聞いて以来誰もイイ・オの話をしなくなった。
多分皆、何か言いようのない哀愁を知ってしまったのだ。
触れてはいけないものに触れた、と言う苦さは、私だけではなくおそらく皆の中にあったようだ。
その後おばさんもあまり見掛けなくなった。
彼女が半分だけ扉を開けて見ていた遠いものは、そして綺麗なテーブルクロスをしつらえて待っていたものは、何だったのだろう。

同じ予備校を出たずっと下の後輩に、今もイイ・オがあるかと聞いたら、何のことか解らない、そんな店はそこに無いと言っていた。
あの店が、私達悪い予備校生に覗かれて、からかわれて、ポテトチップを一袋食べさせるためだけにテーブルクロスが整えられ、あの陰鬱な街角でひっそり待っていたかのようにも今は思える。
今はないと聞くと、すべてのことは、思春期の眼が見た青い幻覚のようだ。
ごきゅう書店も「やしろ」も、イイ・オも、跡形もなく消えたらしい。
嘘のように楽しかったのに、あの頃の美術研究所の友も今はほとんど互いに行方を知らない。

by meo-flowerless | 2005-10-02 03:53 |