画家 齋藤芽生の日記 Twitter/ @meosaito


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夾竹桃の空地

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夜の高層住宅の隙間。
目に見えぬ宇宙船がひっそり着陸しそうな、小さな空地。
新宿と代々木の間。都市の穴のような、地図上無記的路地にそれはある。
空地の背後には大木と化した夾竹桃の黒い影。黒のなか桃色の花だけが、女の唇のように笑っている。



私と親友はよく夜の東京をあてもなく徘徊し、その大夾竹桃の空地に辿り着く。砂利の上に座って何ということもなくぼんやり夾竹桃の影を見上げる。
二人ともこの花が好きだ。

異国から来たよそよそしい哀感をいつまでも漂わせつつ、そのくせ土着してしまった黒いふてぶてしさ。
南国育ちながら横顔は風のように醒めている女という感じ。
ここまで大きく育つと逞しい男の影のようでもある。
夾竹桃は全草に毒を含み、それが燃えた煙だけでも人を死に至らしめると言われている。本当かどうか解らないが、とにかく毒は確実にあるというので、べたべた触ったことはない。
でも燃えた夾竹桃のそばで炎の毒を吸って死ぬ、そんな生涯の終わりもなかなかいい、と思う。

ただの砂利の空地だが一応駐車場として使われているため、ごくたまに車が私達の脇に停まる。ヘッドライトに照らされ不審な目で見られるが、別になにも怪しいことはしていない。夏の夜の花見である。
ペットボトルの茶とベビースターラーメン(基本味)それだけがつまみの、道楽。

辺りの家並は、ビルの谷間に奇跡的に残されている、古い平屋建ての木造家屋地帯。
狭い路地を通ると、磨硝子越しに家内の人の生活感が伝わる。
滅多に入っては来ない訪問客の足音に、台所で洗い物をする手や風呂で洗髪する手が、一瞬はっと止まっている気配。こちらの人となりを一目で見抜くような大猫が身動きもせずやれやれと目をしばたたかせる。
記憶の奥底をざっと一捌けタオルで擦ってゆくような、夏の香。
ガスのメーターや排水溝から匂う、ちまちました苔世界。
焦茶色に焼け沈んだような軒並の一つ、夾竹桃のある建物は、灰色に褪せた古下宿。
新宿御苑の黒い森に風が渡る。
邸宅街ではまず見掛けない共産党ポスターなどがしみじみ貼られている風情。

非常螺旋階段が骨のように美しい、昭和50年代初期的建築の高層住宅がその一角を囲む。夏の夜のベランダで、高層住宅の住民も思い思いに涼んでいるらしい。
マンションにも、冷たいものとそうでないものとあるが、ここでは皆楽しそうに夏の夜を過ごしている感じがする。
若い人が「ハハ」と何処かの窓辺で笑う声が、高層住宅群の壁と御苑の木立の間を、ハ、ハ…とこだまして響き渡っていく。ちょっと酒を飲んでるな、と思いこちらも微笑む。

建物の階上というよりは、天のように高く思える反響音。
下界の私達が共鳴して笑っている声は向こうにどう響くのか。
相手に見えなくても、闇の中彼らに向け手を振ってみたりする。
どこかの窓の中では青いテレビだけが点滅して私達に応えている。
夜のカラスも眠らずに起きていそうな良夜。
全ての人間が鈴虫のようにかそけき存在に思える。

月の気配に空を何となく見上げ、一瞬戦慄。
そこにあるのは光雲に囲まれた、黒い真四角な月。
実は高層ビルが夜空に向かいサーチライトで演出している光だった。
米国のビルを真似した模型的ビルの天辺の四ツ角から空に灯を照射し、ビル断面の四角い影を浮かび上がらせているのである。もっと気の利いたライトアップがありそうだが、何故か飾気の何もない白色光に、ただ正方形がぽかっと穴を開けているだけ。その中途半端な、気のきかなさが良い。
この四角く黒い月は、見える日と見えない日があった気がする。
見ると何か「そこはかとない寒気を一点」獲得したような変な嬉しさがある。

今年の夏はとうとうそこへ行かなかった。
その空地も家並も、壊されて無くなってしまったかもしれない。再開発予定地だから時間の問題だ。
「下界」が無くなってしまったら高層住宅の住民もベランダで涼んだり、夜の大気に煙草のけむりを漂わせたりしなくなるだろう。
第一あの木造住宅の人は、猫は、花は、根こそぎどこへ消されるのか。

「場所の空気」がほとんど跡形もなく消え失せるような再開発をすることは、目に見えている。私の好きな場所は、ほとんどすべてそういう運命にある。
不気味で無意味な力が、東京の全ての隙間を、不毛な質感で覆い尽くしていく。その速度は恐ろしい。

そう言えば下北沢駅前の街並もなくなるというのだ。かつて私も住んだ町である。人の住んでいるところを、人の集っている店を、駅までを破壊し、無理矢理道路にするのだと言う。道路建設反対の方はここを直ちにクリック
そのうち新宿すらなくなるんだろうか。

お偉い人間というのは、自分の足で雑踏を歩いたり、人混みにぶつかりながら彷徨ったり、夜の大気に身をまかせたり、目を凝らしたり耳を澄ましたりすることなくその生涯を終えるのだろう。
夾竹桃の花の妖気にも触れず、ベビースターラーメン基本味のおいしさも知らず、夜の道に寝転がったりすることもない。
一緒に花の下、無言でいつまでも過ごすことの出来るような「親友」もいないだろう。
月も見上げることもない。
彼らは、何かに「気付く」という生き方からもう下りた人間なのだ。
よくあんなに薄い密度で人生をやっていける、と逆に哀れになる。

古い町の名前を整理して無機質な改名をしたり、失礼極まりないことに「人」まで数字で登録したり、絵を一度も見ずに履歴や展示経歴だけで絵描きの全てを判断できると思っていたり、「日本語を全てひらがな表記にせよ」と主張する学者が本気で頑張っていたり、ろくすっぽ歴史のことも解らないくせに憲法を変えたがったり、彼らは、一体どんな場所に住んで何を食べて生きてるんだろう。
「人の住まない別の場所」からまとめて彼らは派遣されてくるんじゃないだろうか。
どれもこれも同一人格としか思えない。
それなのに彼らは、蓋を開けてみれば実はこの世の「大多数」なのだ。
自分では善良で平凡な人間と思っている人ほどちょっと気を緩めると自分もそれに加担してしまうのかもしれない。気をつけなければ。

地図の図面ををただ上から眺めるだけの人間、地図に無い風景の中に実際這いつくばって生きる人間。
この世の全ての戦いは、極言すればこの二者の戦いだと思う。
区画整理であろうが簡便化という名のもとであろうが、自分の大事な地面がいつのまにか奪われていくということは無差別で残酷な空襲を受けているに等しいことなのだ。
by meo-flowerless | 2005-10-01 04:03 |