画家 齋藤芽生公式サイト http://www.artunlimited.co.jp/artists/meo-saito.html
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ライフログ
金峯山寺秘仏開帳

桜に煙る、ではなく、「緑に燃える吉野の山」を訪れた。
トコトコと、短い近鉄電車が山河の中を切り分けて進む。
以前の関西の旅でも思ったが、近鉄電車の車窓風景はどこも、自分の夢の中の迷子感覚に近い風景なのだ。ここは夢で訪れたな、とよく思う。
奈良の山河。
陰鬱な山の緑、青黒い川の反射、やけに縮尺の小さい黒ずんだ木造の家並み。
物憂さと不穏さの先に、痛切な懐かしさが一本貫き通る。
東京でのある日。
電車の中吊り広告で、見たこともない青い肌の鬼神像三体の美しい写真を見た。
どこかの暗い堂内の闇。あやしく壮絶な色彩が浮かび上がる。
アジアのどこかの神々かと一瞬思ったが、まぎれもない日本の仏像らしい。
「金峯山寺」。修験の山奈良・吉野の、国宝級寺院の秘仏開帳だという。
あんな大きな、しかも晴れ晴れとした仏像が日本にもあったなんて知らなかった。
観に行きたけれども吉野は遠し.......と、遠く眺めていた。
が、勤め先の大学で、古美術研修旅行の引率として代理で「奈良に行け」とのお達しが。
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夏隣

夏隣、という言葉は本当はもっと先の季節のことを言うのかもしれないけど、好きな言葉だ。
今日は、次に夏が待ち受けているという気配を存分に感じる事が出来た。
雨のGWの中旅行に出かけているのなら残念だったかもしれないが、今年はうちで休養しつつ制作すると決めていたので、くるくる変わる機嫌の悪い天気をかえって楽しめる。
毎年、実家裏の川で盛大に泳ぐ大量の鯉のぼり。今年も見物した。
中学生くらいのとき突如、五月の橋の上に現れた鯉流しだった。
それがいつしか小さな名物として定着した。
当時は観る人もあまり無く、町内会の心意気にただ吃驚!という感じだったが、今では多くの散歩客がこの鯉を楽しみに来るようになった。
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骨董 in 桜花

あーやっぱり春はいい。
もちろん、鬱にもなる。新学期だし。いろいろ、逃げることが出来ないし。
けれど、花が咲きいでているのを見るたび、生きることの奇跡に感謝をする気になる。
今日ようやく今年の桜を夫婦揃ってみることが出来た。
新学期仕事始め、五日間勤務先の学校に泊まって家を空けたせいか、珍しく、春にまったく興味も示さず桜もそれほど好きでないはずの旦那が、「一緒にまだ桜を見ていないので見に行こう」と言ってくれたのが非常に嬉しかった。
初めてじゃないだろうか、そんなことを向こうから言い出したのは。
徹夜明けの朝から、高幡不動尊の市に桜見&物見に出かけた。
緋色の伽藍に白い桜の花が生えて咲き誇る。
色とりどりの骨董たちも、いつもとそれほど変わらぬ品揃えのはずなのになぜか季節ごとに違う物語を演じているように見える。
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# by meo-flowerless | 2012-04-20 22:44
ベス単 vs 立川スピリチュアルトンネル

ベス単....受験の参考書にそんな名前は無かったか。
いや、あれはデル単。受験によく出る単語の本という訳で。
ベス単、というカメラのレンズである。
Vest Pocket Kodakというコダック社のカメラは、1912年発売になった当時で言うコンパクトカメラ。
ベストのポケットにも入るという命名らしいが、紳士がベストを着ていた時代の良き絵が浮かぶ。
レンズが単玉タイプのものが日本ではベス単と言われはやったそうだ。
その古いふるい写真機のレンズだけを取り出し、現代の一眼レフやデジカメにくっつけて撮る愛好家は数多いるのだそうだ。
はい、私もそのまねっこですな。
レンズを囲んでいるフードを外して過剰な光を入れ、発光しているかのような明色の滲みを楽しむ撮影の仕方こそが、このレンズの楽しみ方なんだという。
そう、「ベス単フード外し」。....口にしてみるだけでにわかカメラマニアになったような気分になる。
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WISC知能診断検査

実家の書斎の棚から母が引っ張り出してきてくれた、昔使った「知能検査セット」。
先日の記事に『田中びねー式』の検査セットと書いたが、記憶違いだった。
これは『WISC知能検査セット』だ。
小学校受験前、父にこれを試されたのは、本の数回のような気がする。
児童の知能指数=IQを測るんだと!
まあ、調べた感じでは、児童の知能発達に「問題や障害が無いかどうか」というテストですね。
父は教育学をやっていたのでこういうのを持っていたんですね。
IQをどうやって測っていたのかはわからない。
たぶん別添の本かなんかあったんだろう。
この絵入りカードの珍妙なセットからだけでは、とても知能指数がはかれるなどと、想像出来ない。
いやー凄いですね。そんなの測って、どうしたかったんでしょう。
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野衾たちの温泉 その二

一体自分は、何を求めて鄙びた温泉に来るのか、自分でも解らない。
理屈ぬきの「感情が必要とする」風景。というのが日本人にはきっと昔からある。
詩や唄は、そんな場所の、闇に落ちる雫の音だった。
闇の匂いのしない闇、というのが存在する。ということを考え始めたのは最近だ。
悲恋の道行を思わせる濡れた夜闇なんか、安易に期待しがちな自分でも、さすがに悟らないといけない。この土地伊香保にもふと感じた、人の心の深淵とはまた違うもの。
おそらくは、あまりに乾き切った社会の黒い孔。
まあ....あまり縁はないたぐいの闇だ。ここで深追いはするまい。
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野衾たちの温泉 その一

有名温泉だからこそ、人の見ようとしない「隙間」が面白いのではないか。
....なんて、淡い期待をつい抱くのである。
湯治にも、美食にもレジャーにもまったく興味のない私ら貧乏チームは、ただ「情景の残滓」のようなものをひたすら求めて歩くだけなのだ。
それでも、なかなかやはり、歯の立たない観光地というのは多い。
マイカーでやってきて、閉ざされた高級旅館やホテルに籠り、一夜の湯とゴロ寝と酒とまんじゅうだけを楽しんで帰って行く....都市の観光客の群れの中。
カメラの向けどころの違う私と相棒は、もう充分に浮いている。
誰もが名を知る、かの伊香保温泉にやってきた。
一泊三千円くらい、素泊まりのこの辺りでは珍しい安宿をお宿に定め、チェックインよりずっと早い朝の内うちから張り切ってやってきた。
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CONTAX Planar

CONTAX Planar 50mm f1.4 を、ちっちゃいマイカメラに付けて散歩だい。
古いレンズ楽しいな。
ツァイス・レンズ・冥途院・ジャパン。
昔のフィルム式で撮るわけではないし、デジカメは勝手に画像を電子処理してしまうので、古レンズの個々の特性などはあまり意味が無い、といもいわれる。
が、幾つかを試してみると素人の私にでも、やはりレンズの違いというのはあるのだな、と解る。
曇天のなか自宅1km圏内だけの歩きだが、画面を覗き込みながら行くと鮮やかな気持ちになる。
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畏怖と光景

作品世界において大事にしたいのは、鬼気だ。
それは、ファッションと化した「貞子」的オカルト趣味とは、まったく違うものだ。
決まって古風な美少女で似たような衣装を着て何度も近くに化けて出てくれるらしいが、なんとサービス精神に満ちているのかと思う。
彼女達は恨みという明確な感情を、これもまた割とはっきり顔に出す。
なぜそういう紋切り型の演出を、多くの人がお約束のように怖がれるのか、理解出来ない。
様々な顔をして様々な人生を生きた人間がそれぞれの死に様を持っているのに、なぜその雑多な死の多様性は演出範囲外に置かれるのか。
都市伝説とはいつの世でも人間に必要な、一種の畏怖感覚のバロメーターだろう。
各時代に語られた伝説や民話の内容や伝播のしかたを調べれば、時代が何を畏怖していたか、がある程度解る。
紋切り型なホラーイメージの安売りは、本音の畏怖感覚を、鈍らせるだけのものにしか思えない。
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jupiter-9

ボロ宝のカテゴリーではちょっと申し訳ないが、性能はなかなかのものだったらしいのだ。
今ではかなり懐古的な画面だが。ロシアレンズ、jupiter-9。
手持ちのデジカメにm42のマウントアダプターを付けて、中古jupiter-9を装着してみる。
ジュピター、なんだが、あちらではユピテル、とかユピチェリ、とか言うらしい。
ああソ連。アレクセイ。ドミートリー。イワン。なんとかビッチ、なんとかフスキー。
第二次世界大戦後のドイツに起こったのは国土の分断だけではなく人材や技術の流出でもあった。
世界屈指のレンズを制作するカールツァイス社の技術者達はソビエトに強制移住させられ、またそれを危ぶんだ米国によって、ドイツの別の場所にも一部移住させられたという。
ソ連当局が国を挙げてコピーしたツァイスレンズの数々。
「貧者のツァイス」だとか何とかいわれ、安価で手に入る中古のレンズ群だが、流石そのまま技術を移植しただけあって、その写りはツァイスレンズにも引けを取らないという評価もあるのだとか。
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雪猿温泉 その二

地方自治体のサイトや商工会のホームページに、たまに小さなライヴカメラ映像が載っている。
いろんな土地の現在の天気の様子や交通量を淡々と写しているのを、パソコンを通じてみることが出来る。
うちの夫はたまに、黙々とそういう画像を探しては見ている。おそらく何の目的もないのだろうが。
数多在るライヴカメラ映像の中で夫が気に入っているものがあった。地獄谷野猿公苑公式ウェブサイトのライヴ画像だ。
動画ではなく、朝八時から十六時まで、一時間ごとの静止画をクリックして開けるようになっている。画像を開く。日本猿が山峡の露天風呂につかっている。一時間後の写真もやっぱり猿が温泉につかっている。ひたすら一日中入れ替わり立ち替わり....なのかずっと同じ猿なのか解らないが、猿が風呂につかっている。そしてそれを様々な人種入り乱れた観光客が行儀よくまわりに立って眺めているのも、カメラに写っている。
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雪猿温泉 その一

「終着駅、湯田中には午前九時五十一分到着」
特急スノーモンキー号の車掌は、終点、と言わず終着駅、と言った。
昨夜の天気予報では、日本海側には大雪警報が発令されているという。
けっして重くはない光の見える金色の空から、細かい砂塵のように雪が舞い落ちてくる。
白の中、林檎畑の枝だけが風景の底で青黒く絡まり合う蛇のようだ。
はあー 麗しの志賀高原...
湯田中駅に降りた途端駅のホームには、昭和のかなり古い時期の歌謡が流れる。
駅前の温泉郷ゲートの赤文字に一つ一つ丸く雪が積もっている。
数日降り続きっぱなしの雪のせいなのか、ところどころ積雪は50cmほどに達している。
どの軒にも長い槍のような氷柱が下がっている。
こりゃあものすごい日に歓楽にきてしまったようだ。
踏んでも水の沁み出ないまとわりつくような細かい雪は、どこをどう踏んで歩いていいか、解らない。
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中野正貴氏 集中講義
本日、緊急告知。特に芸大生の方に!

集中講義『写真家・中野正貴 ー 無人の雑踏 』
日時:2012年 1月10日(火)15:30~18:00(15:00開場)
場所:東京藝術大学上野校地 美術学部 中央棟一階第二講義室
対象:油画専攻全学年/油画第4研究室学生必修
講師:中野 正貴氏(写真家)
担当教員:齋藤 芽生
担当助手:佐貫 巧
「無人の光景のなかに人の体温を感じさせ、影の底から光を望み、渇きの中に湿度を感じさせる。
相反する都市の要素をどのように捉えてきたのか.....」
ベストセラー『TOKYO NOBODY』で知られ、
『東京窓景』で第30回木村伊兵衛写真賞を受賞した
写真家・中野正貴氏が、自作を語ります。

集中講義『写真家・中野正貴 ー 無人の雑踏 』
日時:2012年 1月10日(火)15:30~18:00(15:00開場)
場所:東京藝術大学上野校地 美術学部 中央棟一階第二講義室
対象:油画専攻全学年/油画第4研究室学生必修
講師:中野 正貴氏(写真家)
担当教員:齋藤 芽生
担当助手:佐貫 巧
「無人の光景のなかに人の体温を感じさせ、影の底から光を望み、渇きの中に湿度を感じさせる。
相反する都市の要素をどのように捉えてきたのか.....」
ベストセラー『TOKYO NOBODY』で知られ、
『東京窓景』で第30回木村伊兵衛写真賞を受賞した
写真家・中野正貴氏が、自作を語ります。
新年

いかに暗い空でも、その暗さを隅々までよく映す鏡のような作品を作りたいと思う、
新年の始まり。
自分が立ち会うすべての風景を、寡黙に大事にしようと思う。
無為無策散歩・立川

ひたすら写真を撮る日々。今日は母と立川を歩く。
十代の頃、休日になると母と当てもなく町歩きしたものだ。
立川のデパートの会場のレストランで食事をすると窓から、北の方向に基地の飛行場の広大な荒地が見えた。
あの荒れ果てたとこに行きたいなどと思いつきで私が言っても、母は大抵、いいねといいながら楽しそうに付いてきた。
金網越しに見た基地の枯れ芝の殺風景。そこの光景が、私の原風景の一つになったことは間違いない。
何の目的もないけれど、辿り着くまでに出会う町の様々なディティールに「気付くこと自体」がもう目覚ましい鮮やかなことだった、あの頃。
そんな思春期のまだ瑞々しい心の肌理を思い出しながら歩きたかった。
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